じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内でお花見(80)コスモス畑、見頃 10月4日の日記に掲載した農学部構内のコスモス畑がいよいよ見頃となってきた。写真の隅にも写っているように、ここは金網越しでの鑑賞となる。 |
【思ったこと】 _b1013(木)人間・植物関係学会2011年臨時大会(5)二次元気分尺度による農業体験前後の気分変化(3) 昨日も述べたように、「二次元気分尺度」は、出典によって、若干質問内容や6件法程度表現に差違がある。このうち、今回の口頭発表で引用された内容に即して言えば
経験科学ではしばしば、数値で測定し、統計的検定を行った上で、その差が偶然ではないことを確率的に示した上で、何かの効果(今回の発表で言えば、農業体験の効果)を実証しようとする。そういう立場から見れば、上掲のP、N、H、というそれぞれの値が有意に変化したというような結果分析はいかにも科学的な研究であるような印象を与える。 しかし、上掲のP値というのは、要するに、対象者自身が「活気にあふれて」「イキイキとして」いるかどれだけ高く評定しているか、また「無気力」で「だらけて」いるのかをどれだけ評定しているのかを、単純数値化したものに過ぎない。多少批判めいたことを言わせてもらえば、これは要するに、対象者に「あなたは今どれだけ活気にあふれていますか?」と尋ねているのと大して変わりない。また、集団で実施した場合には、「活気にあふれた」と思った人がどのくら増えたのかを挙手で把握することと大して変わらないようにも見える。N値の場合も、対象者自身が「イライラして」「ピリピリした」をどの程度高く評定し、「落ち着いて」「リラックスした」状態だと思っているのかに依存しており、基本的には変わらない。とはいえ、科学研究としては、“「リラックスした」と感じた人が○○%増えた”というだけではエビデンスとして不十分、いっぽうN値が○○だけ減ったと数量的に示せば、いかにも客観的に検証しているかのような印象を与える。こういうこともあって、二次元気分尺度は、今後ももてはやされるであろうし、その分、尺度制作の意図や限界を理解せずに結果利用や自己流の解釈が一人歩きしてしまう恐れもあるように思えた。 以上、やや批判的なコメントになってしまったが、もちろん肯定的な面も多々ある。 その1つは、300近い気分表現語の中から、種々の調査と統計的手法を経て8語が選ばれている点である。上掲では批判的に述べたが、質問項目の1つ「リラックスした」というのは、調査者が勝手に思いついた質問ではなくて、300近い気分表現語の中から妥当な質問として選ばれたという点は見逃すわけにはいかない。何かのセラピーを実施したあとで、セラピストがクライエントに「どうでしたか?」と質問をする場合、セラピストが思いついた気分表現語で尋ねるよりは、上掲のような気分尺度で毎回同じような尋ね方をするほうが、同じ言語報告であっても、より信頼性の高い変化を把握できるのではないかと思われる。 このほか、上掲の「ポジティブ覚醒」、「ネガティブ覚醒」は、表現語の内容から見て、ドーパミン系の喜びと、セロトニン系の癒やしに対応しているようにも思えた。要するに、「ポジティブ覚醒」スコアが高いということは、「ドーパミン型」の「ワクワク、ドキドキ」、「ネガティブ覚醒」スコアが低いということは、 「セロトニン型」の「落ち着き、ゆったり、癒し」の状態を示しているようにも見える。 いずれにせよ、この尺度の得点は、回答者の主観や個体差が大きく反映すると思われるため、群間比較(個体間比較)にはあまり向いていないように見える。いっぽう、農業体験の前後、というように、個人内の変動指標を簡便にとらえる方法としては有用であろう。個人内の変化であれば、スコアは間隔尺度である必要はない。順序尺度的な数値であっても、特定体験の前後で増えたか減ったかさえ把握できれば十分であるからだ。 次回に続く。 |