じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内の紅葉(21)クリスマスでも落ちないアメリカフウとイチョウ 岡大・自然七不思議(←長谷川が勝手に選定)にも数えられる、落ちないイチョウと落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)の最新画像。落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)のほうはまだまだ目立っているが(写真上段)、元祖・落ちないイチョウ(写真中段)はかなり葉を落としてしまった。三代目・落ちないイチョウ(写真下段)はまだまだ葉を残しているが、強剪定で落葉機能が損なわれたようにも見えて、何となく病的な印象。 |
【思ったこと】 _b1224(土)日本質的心理学会第8回大会(29)実践としての身体(2)フォークサイコロジーの用語と身体性 河野氏は話題提供の後半で、心理学で用いられる用語(心理用語)は、社会的行為を意味することが多いという指摘をされた。フォークサイコロジーの用語は記述的、規範的であり、「考える」、「記憶する」、「工夫する」といいった心理用語は、「貯金する」、「訴訟する」、「就職する」といった言葉と同じで、社会的に定義された振る舞いを指しているためである。しかしそのように規範的に定義されるが故に、どのような身体性において実現されるかはあまり問題とならない、というのである。 この部分は、もう少し、行動分析学的な視点から捉え直してみる必要があるように思った。そもそも、フォークサイコロジーに限らず、日常社会で交わされる言葉というのは、その言語コミュニティの中で、モノやコトをどのようにカテゴライズし、どういう場面で用いるのが有用であるかどうかにかかっている。
そのことをふまえると、「身体性」が考慮されるかどうかは、対象となる行動によりけりということになる。例えば、教習所で車の運転を教える際には、ハンドル操作、(マニュアル車の場合→)クラッチやギヤチェンジ操作、左右の目視などは身体性を抜きに語ることはできない。しかし、交通安全のために必要な道路交通法の整備や、信号や標識などの設置を検討する時には、通行する車がマニュアル車であるかオートマチック車であるかということは問題にならない。マニュアル車とオートマチック車の運転操作に関わる身体性の差違は考慮しなくてもよいということになる。 次回に続く。 |