じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 2011年版・岡山大学構内の紅葉(21)クリスマスでも落ちないアメリカフウとイチョウ

 岡大・自然七不思議(←長谷川が勝手に選定)にも数えられる、落ちないイチョウ落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)の最新画像。落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)のほうはまだまだ目立っているが(写真上段)、元祖・落ちないイチョウ(写真中段)はかなり葉を落としてしまった。三代目・落ちないイチョウ(写真下段)はまだまだ葉を残しているが、強剪定で落葉機能が損なわれたようにも見えて、何となく病的な印象。

12月24日(土)

【思ったこと】
_b1224(土)日本質的心理学会第8回大会(29)実践としての身体(2)フォークサイコロジーの用語と身体性

 河野氏は話題提供の後半で、心理学で用いられる用語(心理用語)は、社会的行為を意味することが多いという指摘をされた。フォークサイコロジーの用語は記述的、規範的であり、「考える」、「記憶する」、「工夫する」といいった心理用語は、「貯金する」、「訴訟する」、「就職する」といった言葉と同じで、社会的に定義された振る舞いを指しているためである。しかしそのように規範的に定義されるが故に、どのような身体性において実現されるかはあまり問題とならない、というのである。

 この部分は、もう少し、行動分析学的な視点から捉え直してみる必要があるように思った。そもそも、フォークサイコロジーに限らず、日常社会で交わされる言葉というのは、その言語コミュニティの中で、モノやコトをどのようにカテゴライズし、どういう場面で用いるのが有用であるかどうかにかかっている。
  • 例えば、「サカナ」というのは生物学的に言えば脊椎動物の中の魚類を意味する概念であるが、海の近くに住む人が自分たちで食べるという意味で「サカナが獲れた」という時には、カニやイカやタコ、場合によってはクジラを含んで居ても、円滑なコミュニケーションを進める上で何の支障も起こらない。
  • 「虫」という言葉も、生物学的に厳密には昆虫のことを指すが、蜘蛛もムカデもダンゴムシも南京虫も、日常生活での扱い上は、昆虫と違うものであると区別する必要はさほどない。
  • 果物と野菜の区別も同様である。狭義には、「果物」は木に生る果実を言いイチゴやバナナは野菜に分類されるそうだが、日常社会では通常、メインディッシュの材料やサラダに使われるものを野菜と呼び、デザートやおやつに出される甘いものを果物と呼んだほうが都合が良い。
 元の話題に戻るが、行動分析学的にみても、「考える」、「記憶する」、「工夫する」といった概念は、まずは、言語コミュニティの中でどのようにカテゴライズされ、どういう文脈で用いられているのかによって、大ざっぱに定義される。その上で、
  1. その行動が起こっているのか、起こっていないのかという基準を観察可能な形で(しばしば操作的に)に定義。
  2. 必要に応じて下位のパーツに分類(課題分析)。
  3. その上で、量的な変化(反応率など)や質的な変化(反応のトポグラフィーや連鎖、入れ子構造など)を観察。
  4. どういうまとまりで強化、あるいは弱化可能であるのかを実験的に確かめる。
という形で再分類、再定義される。それらは、生物的な制約(筋力や体力などの限界や、人は空を飛べないといった身体構造上の制約)を受けつつ、やはり、その言語コミュニティの中で、どういう形でひとまとまりに強化・弱化されるのかによって規定される。そこから逃れて、恣意的に再定義することはできないし、仮にそのように定義できたとしても何のメリットも得られない。

 そのことをふまえると、「身体性」が考慮されるかどうかは、対象となる行動によりけりということになる。例えば、教習所で車の運転を教える際には、ハンドル操作、(マニュアル車の場合→)クラッチやギヤチェンジ操作、左右の目視などは身体性を抜きに語ることはできない。しかし、交通安全のために必要な道路交通法の整備や、信号や標識などの設置を検討する時には、通行する車がマニュアル車であるかオートマチック車であるかということは問題にならない。マニュアル車とオートマチック車の運転操作に関わる身体性の差違は考慮しなくてもよいということになる。


次回に続く。