じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2011年版・岡山大学構内の紅葉(23)「豊穣」のカイノキ

 今年は、農学部前のカイノキのうち、北側にある女木(雌樹)の紅葉がほとんど見られなかった。原因は、南側の男木(雄樹)からの花粉を受けて大量の実をつけたためである。しかし、紅葉の季節が終わり落葉が完了した今の時期は、むしろこちらのほうが目立っている。

 なお、同じ女木でも、時計台横のカイノキのほうは見事に紅葉した。そちらのほうは実が少なかった。

12月28日(水)

【思ったこと】
_b1228(水)日本質的心理学会第8回大会(33)実践としての身体(6)サトウタツヤ氏による指定討論(1)心理学は自然科学→社会科学→人文学へと変遷?

 砂上氏に続いてサトウタツヤ氏からの指定討論があった。

 サトウタツヤ氏は、まず、ちょっとした前提として、心理学が
  • 19世紀末から20世紀半ば:自然科学としての心理学
  • 20世紀半ばから21世紀初頭:社会科学としての心理学
  • 21世紀以降:人文(科)学としての心理学
という流れをたどったことを指摘された。

 このようなご指摘については、未だに「心理学は自然科学の一分野である」と考えたり、また、社会科学において心理学が未だに重要な役割を担っていると考える研究者もおられるとは思う。さらに、もし心理学が、実験心理学誕生以前の人文学に戻るというのであると、いったい何をもって心理学という学問領域を保てるのかという疑問も出てくる。あるいは、単に、サトウタツヤ氏個人としての関心領域が、「自然科学としての心理学」から「社会科学としての心理学」、そして「人文学としての心理学」に変遷しただけではないかという声も聞かれそうな気もした。

 もっとも、そのことについては、いくつかのエビデンスが挙げられている。

 まず、「自然科学としての心理学」に関しては、本来、固有名の身体は特定の場と時間(クロノトープ)を占有しているのに対して、「自然科学としての心理学」は、固有性から引きはがして「心」を対象化しようとした。それゆえ、Objectとしての心理学は身体性を排除するという特徴をもつ。そのことは例えば、知覚心理学の実験で使われる「あご台(顔面固定器)」に象徴されている。そこでは「静止」した身体で測定するどころか、「制止された」身体で測定しているのであった。また、行動分析学の最も基本的な実験装置であるスキナーボックスも、ネズミやハトの自由な行動を著しく制限していると言える。さらには、サトウタツヤ氏によれば、身体性無視の昇華の形と見られそうなのが感覚遮断実験であり、また、カウンセリングルームも、現実の日常空間から切り離された狭い個室であって、身体性が制限された空間と言える。

 ということで、確かに、実験心理学の装置そのものは自然科学一般の装置とよく似ており、また、少なくとも20世紀半ば頃までは、「固有性から引きはがして「心」を対象化しようとした」という方向を持っていたことは確かであると言える。なお、今回の指定討論では、「社会科学としての心理学」が「人文学としての心理学」に変遷したことを示すエビデンスは特に挙げられなかったように思えた。

次回に続く。