【思ったこと】 _c0212(日)QOL評価・向上のための複合的多項随伴性アプローチ(12)長期的分析(8)人生のカタチを描く(8)十分条件ではなく必要条件として考える
これまで8回にわたって「人生のカタチを描く」という話題を取り上げてきたが、当初の、「パッと見ただけで変化が分かるようなツール」という目的からみて、どのように可視化することが最も簡単で見やすくなるのかについては、まだまだ改善の余地があると思っている。左図(クリックして拡大)は、これまでの連載の図とは少々異なり、「できることエリア」を直線で区分している。こうした図を現場で活用する場合、詳細な曲線を描くことは困難であろうし、意味もない。それよりも、定規でバサッと線を引いたほうが簡単かもしれない。
ちなみに、左の図では、
- A:学校
- B:職場
- C:子育て
- D:趣味
- E:セラピー
という大まかな区分を示すものである。但しそれらは、種々の活動自体ではなく、活動を埋め込むためのエリアにすぎない。縦軸の幅が大きくなるのは、そのエリア内で「できること」が相対的に増えていることを示す。但し「できること」が増えても、実際に活動しなければ空虚な隙間になってしまう。「できること」エリアにおける諸活動を実際に支えているのは後述する「複合的多項随伴性」である。
ということで、まだまだ改善の余地はあるが、今の時点での考えをまとめると以下のようになる。
- 「人生のカタチ」図の横軸は年齢を表す。年齢の右端は85歳あたりとする。2月10日に述べたように、この「カタチ」は、本人が人生の途中で過去を振り返り、将来計画を立てるために利用するためにあるので、自分の余命は控えめに見積もっておいたほうがよい。
- 縦軸は、「できること」の範囲を示す。
- 以前できなかったことができるようになれば縦軸の幅(Y成分)は増加、できていたことができなくなれば減少する。新しくできるようになったことと、できなくなったことが同程度であれば、幅は一定となる。
- 「できること」は、活動の内容によって、スキルの向上、体力・能力向上のほか、行動機会、資金、時間的余裕、経験蓄積、広い視野の獲得などに依存して決まる。例えば、山登りという活動では、スキルや体力が基本ではあるが、山登りに行くための資金や時間的余裕も併せて必要となる。
- 「できること」は、活動空間の違いによって変わる。活動空間としては、家庭や学校、さらに就職後の職場環境、あるいは居住地の環境などによって区切られる。学校を卒業すれば学校内でのサークル活動はできなくなるし、定年退職すれば、会社内で行ってきた諸々の業務活動はすべて終了する。
- 本当の「人生のカタチ」は立体であり、これまで描いてきたのは、それを側面から眺めた状態に過ぎない。ある時点での「カタチ」は、それを輪切りにした断面として描かれる。後述するが、その断面では、社会や他者との関係が描かれる。
以上に提案する「人生のカタチ」は、これまでに何千、何万と提案されてきた描き方と比べてそれほど目新しいものではないかもしれない。但し、以下のような、オリジナル(と自負する)視点も含まれている。
- 「できることエリア」の中に、種々の活動を埋め込むこと。かつ、それらの活動は、後述する「複合的多項随伴性」によって強化されていると考えること。
- 今年の元日にも述べたように、人間はしょせん、種々の活動の花束のようなものであって、それ以上でもそれ以下でもないと考えること。
- その束は必ずしも過去・現在・将来を1本でつなぐようなものではなく、人生のある時点から始まってある時点で完結(達成する場合もあるし、失敗・断念することもあるし、別の行動に昇華していくこともある。よって、1つの活動が継続困難になっても人生全体がどうにかなるというものではない。また、過去のある断面と現在とでは、活動の束が全く異なることもあり、連続性は必ずしも前提としてない。
要するに、このモデルでは、自己の同一性・継続性、TEM(複線径路・等至性モデルのようなものは一切前提としていないということである。但し、前提としてないからといってそれを否定したり、論争を挑もうとするものではない。今年の元日にも述べたように、自己の同一性・継続性というのは、その人個人に内在するものではない。何十年も前から同一の「自分」が継続しているように錯覚してしまうのは、主として、
- 過去の記憶が現在に影響していること。
- 社会的役割や他者との関係(二人称や三人称)において、一貫性が要請されており、それに合わせて振る舞うことが強化されていること。
- 自分の行う活動や体験を、他者のそれとは交換できないこと。
などの理由によるものと考えている。
こう言っては語弊があるかもしれないが、「自己の同一性・継続性」というのはある種の宗教のようなものだと考えている。それを信じることで、迷いや悩みが消えることもあるし、説教や信者どうしの互助に支えられることもある。但し、神の存在を信じない人々の人生がそれより劣っているとは決して言えない。かえって、宗教にとらわれない自由で多面的な見方ができるかもしれないし、それが選択に役立つこともあるだろう。
とにかく、「人生のカタチ」や「諸活動の埋め込み」、さらに「複合的多項随伴性」という考え方だけで、当初の目的であるQOL評価・向上が100%達成できるなどとは思っていない。しかし、そういう見方を導入することは、十分条件ではないにせよ、必要条件にはなっており、この視点を欠いている限りは、QOLとか生きがいについての議論を深めることは決してできないであろうというのが私の言いたいところである。
次回に続く。
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