じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _c0324(土)心理学教育の目標設定の再検討(7)心理学教育の実益性・教養(5)「心理学商店街」論 昨日の続き。 荒川氏の企画趣旨説明に続いて、お二人の話題提供があった。このうち、「法学の学部教育の目標と方法」のほうは、他学部の実情を知るという点では興味深い内容ではあったものの、心理学教育とはかけ離れており、今回のテーマとの関連がイマイチ分からないところがあった。 いっぽう、松原氏による、「科学技術の学部教育の目標と方法,そして課題 −科学の不確実性と向き合う−」のほうは、心理学教育と科学教育との連携をさぐる上で大いに興味深い内容であった。とりわけ、「科学の不確実さをいかに伝えるか」に関しては、心理学教育にも関係深いテーマが多いように思えた。
このうち、3.は、こちらで話題になったような内容のことをさすのかと思ったが(ウィキペディアの当該項目を合わせて参照)、“「構造」とは、同一性あるいは「同一性の関係形式」およびそれらの総体である。”という考え方については、話題提供者のほうからは特段の言及は無かった。 「暫定的な正しさ」についても、時間の関係で詳しい説明は拝聴できなかった。心理学で言えば、帰無仮説をどう設定するのか、科学的検証が不十分な段階で二者択一を迫られた時にはどういう選択をすればよいのかといった、議論ではないかと推察した。 話題提供後、フロアを交えて種々の議論が交わされたが、私個人の考えとしては、まず教養としての心理学教育は、概論的・網羅的な知見の羅列よりも、教員の得意分野を生かしつつ、基本的にはキー・コンピテンシーを高めたり、クリティカルシンキングの目を養う内容であるほうが、意義が大きいのではないかと思っている。いっぽう、専門教育としての心理学であるが、これは、なかなか1つの学問として体系的に教えるのは難しいし、折衷的になってもいけないと思う。心理学の教科書は、しばしば、大学内の複数教員による共著が使われるようであるが、むしろ初めからいくつかの分野や方法論に分けた上で、複数の講義を並行的に受講してもらうほうが、多面的なアプローチをより深く教わるということができて、将来の活用にプラスになるかもしれない。もちろん、演習等もそれらの講義に対応して別々に実施する。 となると、じゃあ何が心理学なのですか?ということになってしまうが、そもそも心理学というのは、研究対象を人間(立場により「人間の心」、あるいは「人間の行動」、...)や動物に限定した経験科学であるということ以外には特段の制約はなく、心理学者の数だけ心理学があるといっても過言でないような特徴を持っている。であるからして、それが社会でどれだけ受け入れられるかということは、結局のところ、当該領域の研究がどこまで新たな予測や制御、あるいは創造に貢献できるかにかかっているように思う。喩えは適切でないかもしれないが、「心理学商店街」というところにそれぞれの心理学者が店を構えて、それぞれの店で商品の宣伝をするようなところかもしれない。心理学商店街の一部または全体が繁盛するのであれば、その分野や方法が発展しているということになるし、その一方どこにもお客が集まらず閑古鳥が鳴くことであれば、心理学は全体として別の学問に発展的に移行したということになる。但し、こういう喩えを使う場合には、素朴心理学やエセ科学とは明確に一線を画す必要がある。一般書店でよく売れている本の内容やテレビに出てくる心理研究家の話をもって、心理学商店街が発展しているとは決して言えないからである。 なお、3月25日以降には別の研究会の参加メモ・感想を記す予定にしているため、はなはだ不十分ではあるが、今回の連載はこれをもって終了とさせていただく。 |