じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 8月7日は立秋(正確には8月7日午前11時31分)となるが、まだまだ日差しは強く、暑い日が続いている。写真右上にあるように、8月6日の20時、岡山県岡山の気温は31.8℃で全国第一位。翌日7日朝の最低気温は27.1℃となっていた。

 写真は早朝散歩時に撮影した陰。この道はほぼ東西方向に延びているので、斜め左に陰ができていることから太陽が北東方向にあることが分かる。

 なお、気象台の記録には無いが、8月6日の20時台に俄雨があり、道路の水たまりができる程度の雨量となった。

8月6日(月)

【思ったこと】
_c0806(月)TEDで学ぶ心理学(3)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(2)「砂糖入り緑茶」の謎

 8月5日に続いて、アイエンガー先生の

●Sheena Iyengar: The art of choosing.(2010年7月)

を取り上げさせていただく。

 さて、このプレゼンでは冒頭、アイエンガー先生が15年前、博士論文研究のために京都に滞在したまさにその初日に経験された興味深い逸話が紹介されている。元サイトに掲載されていた英文原稿とその訳は以下の通りであった。
On my first day, I went to a restaurant, and I ordered a cup of green tea with sugar. After a pause, the waiter said, "One does not put sugar in green tea." "I know," I said. "I'm aware of this custom. But I really like my tea sweet." In response, he gave me an even more courteous version of the same explanation. "One does not put sugar in green tea." "I understand," I said, "that the Japanese do not put sugar in their green tea, but I'd like to put some sugar in my green tea." (Laughter) Surprised by my insistence, the waiter took up the issue with the manager. Pretty soon, a lengthy discussion ensued, and finally the manager came over to me and said, "I am very sorry. We do not have sugar." (Laughter) Well, since I couldn't have my tea the way I wanted it, I ordered a cup of coffee, which the waiter brought over promptly. Resting on the saucer were two packets of sugar.

日本到着の1日目 レストランに入り “砂糖入り”の緑茶をオーダー ウェイターが一瞬戸惑い 言いました “緑茶に砂糖は入れません” “その習慣は知っていますが 甘い緑茶が好きなんです” 前よりも礼儀正しい口調で 同じことを言われました “緑茶には… 砂糖を入れませんので…” “日本人が無糖で飲むのは 十分存じていますが わたくしは 砂糖を入れるんです” (会場の笑い声) 私がしつこいので 彼は困って 店長のもとへ すると間もなく 彼らは長い話し合いをし 最終的に店長が謝りに来ました “あいにく 砂糖がございません...” (会場の笑い声) 私好みの緑茶がないので コーヒーを頼みました すぐさま コーヒーが運ばれ そこで見たのは 2袋の砂糖!
そして、アイエンガー先生は、「甘い緑茶」が飲めなかった原因を次のように考察しておられた。
My failure to procure myself a cup of sweet, green tea was not due to a simple misunderstanding. This was due to a fundamental difference in our ideas about choice. From my American perspective, when a paying customer makes a reasonable request based on her preferences, she has every right to have that request met. The American way, to quote Burger King, is to "have it your way," because, as Starbucks says, "happiness is in your choices." (Laughter) But from the Japanese perspective, it's their duty to protect those who don't know any better -- (Laughter) in this case, the ignorant gaijin -- from making the wrong choice. Let's face it: the way I wanted my tea was inappropriate according to cultural standards, and they were doing their best to help me save face.

私の注文 甘い緑茶が通らなかった原因は 単純な誤解ではありません 選択に対する双方の 根本的な考え方の違いです 米国人の考え方では お客さんが好みに基づいた 分別ある要求をする限り 叶えてもらう権利があります バーガーキング曰く “自己流で召し上がれ” スタバ 曰く “幸せは選択肢にある” (会場の笑い声) でも 日本人の考えでは 無知な人を護るのは我らの務め (会場の笑い声) この場合 無知なガイジンを 誤った選択から護ること 私好みの緑茶は 文化的基準に不適切 私の面子を保とうと彼らは努めました
 このエピソードは大変興味深いものであり、聴衆にも大受けしていたようであるが、日本人の私の立場から見ると素直には納得できない部分がいくつかある。すなわち、
  1. そもそもレストランのメニューに「緑茶」というのはあるのか?
  2. そのレストランでの応対は、日本のレストラン、あるいは日本人一般の典型と言えるだろうか?
  3. この種のエピソードではどの程度の脚色が許されるのか?
といった点であった。

 まず1.であるが、私も京都には15年住んだことがあるが、少なくとも私の知っている限りでは、「緑茶」という飲み物を有料で提供しているレストランはまずない。普通、和食レストランでは、番茶、煎茶、ほうじ茶などは無料で提供されるものである。この点で、注文して有料で提供されるコーヒーや紅茶とは根本的に異なっている。また、プレゼンでは、紅茶カップの写真が提示されていたが、あのようなカップで緑茶を飲むことはありえない。

 では、ここでいう緑茶というのは、抹茶のことだったのだろうか。確かに抹茶であれば、レストランはもとより、境内で抹茶を提供してくれる拝観寺院も少なく無い。しかし、普通、抹茶は甘いお菓子とセットで提供されるので、わざわざ抹茶に粉砂糖を入れるほどの甘党はまずあり得ないと思う。

 もう1つ、日本には、私が子どもの頃から、抹茶粉末に白砂糖を加えた「グリーンティ」と呼ばれる飲み物がある(こんな感じ)。レストランにそういう飲み物が置いてあれば、そちらを選択すれば済んだはずである。

 次に上記の疑問2.であるが、日本の飲食店や喫茶店でも、“自己流で召し上がれ”のバーガーキングや、“幸せは選択肢にある”のスタバの大衆向けレベルであれば、袋入りの粉砂糖などはカウンターかテーブルの上に最初から置かれていて勝手に使うことができる。仮にガイジンさんが、緑茶に砂糖を入れていたからといって咎められるようなことはない。であるからして、アイエンガー先生が日本滞在初日に訪れたというレストランは、おそらく相当に格式の高い和食レストランであったのだろう。であるとすれば、抹茶の正しい飲み方について、日本にやってきたばかりのガイジンさんにアドバイスをすることはありうるかもしれない。しかし、今回のエピソードが、そっくりアイエンガー先生の解釈どおりであるかどうかについては、もう少し考える必要がある。

 まず、京都に限らず、格式の高いレストランでは、お客さんにも一定のマナーを要求するところがある。私自身、岡山に来る前に5年間だけ長崎に住んでいたことがあったが、そこで、格式の高い和食系のお店で卓袱料理を食べる時には、お客といえども一定のマナーが必要であることを経験した。卓袱料理をいただく場合には、まずは女将の挨拶があり、お吸い物(「お鰭(おひれ)」)から口にしなければならない。少人数で宴会をやる場合にはビールを注文するが、お吸い物を口にする前から勝手に乾杯などやってはいけないのである。アイエンガー先生が注文したのが抹茶であるとすれば、当然、その飲み方にも手順がある。但し、それは、西洋料理のフォーク・ナイフの取り方、スープの飲み方などと同じであって、ガイジンさんだから特別というような文化的な差違とは必ずしも言えないように思える。

 最後の3.であるが、これは、TEDの他のプレゼンについても言えることである。例えば

Martin Seligman: The new era of positive psychology.

では冒頭、心理学の現状を、1語、2語、3語で述べよという話が始められているが、これも実際に起こったことがかなり脚色されているのではないかという気がしないでもない。今回のアイエンガー先生の京都でのエピソードというのも、ひょっとすると、100%作り話かなあという気もする。しかし、このプレゼンは、学会の口頭発表ではないし、事例報告の正確さや詳細部分にこだわってしまうと聴衆に飽きられてしまう恐れもある。といって、芸人さんの漫談みたいに、100%創作で語ってよいというものでもあるまい。他のプレゼンを含めて、そのあたりを考えていきたいと思う。

 次回に続く。