じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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ヴィーナス像とホンモノのヴィーナス。

 9月24日はいつもより早めに散歩に出かけたので、まだ薄暗く、東の空に金星が明るく輝いていた。写真は、一般教育棟構内のヴィーナス像と、金星(Venus)。もっとも、金星がどこにあるのかはわかりにくい。

9月24日(月)

【思ったこと】
_c0924(月)全学FD研修(3)「国際教養」とは何か?(3)国際人あるいはグローバル人材の条件/座禅体験よりもCOOL JAPAN

 昨日の続き。特別講演の最後では、「国際人の条件」として6項目が提示された。
  1. 身の回りのことから地域社会全体―日本―世界を考える:空間的広がり
  2. それぞれの地域の歴史的な変化、発達の面白さを理解する:時間的な流れ
  3. 自分と違う人間、社会、異文化への好奇心を養い、違いを尊重する
  4. 自分の生まれ育った地域、社会、国を愛し、誇りに思う
  5. 異文化の人たちと意思疎通でき、相手の文化を理解したうえで議論できる
  6. 民主主義の理念(自由・平等・公正・寛容)を実感し、実行する
 そして、以上を達成するには比較分析を行う論理的思考力・批判的判断力・持続力、高い倫理感が不可欠であること、「知識+芸術文化・哲学+知恵)」から構成される「国際教養学」の成立が論じられた。また、しばしば「英語が使えること」が国際人の条件であると言われるが、英語は「国際人の必要条件」ではない、但し、上掲の6項目を目ざす上では最良・最有力な道具、手段になるという点が強調された。

 いっぽう、岡山大学で構想されている「グローバル人材育成」においても、
グローバル人材に必要とされる3つの要素、
要素I (語学力・コミュニケーション能力)
要素II (主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感)
要素III 異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー)
に対応し、以下の能力や知識を備えた人材を育成する。
  1. 高度な外国語力とコミュニケーション力(要素I)
  2. グローバルな社会に対峙する気概(要素II)
  3. グローバルな社会変動の実態を洞察する力(要素II)
  4. 地域文化・日本文化に対する深い理解と強固なアイデンティティー(要素III)
  5. 固有な分野における高度な専門的知識(要素III)
という道筋が示されており、その内容は酷似しているように思われた。ちなみに、今回の基調講演をされた方は「グローバル人材」ではなく「国際人」の呼称を好まれているとか。理由は、カタカナ語氾濫を避けるためであるようだ。

 ところで上掲の条件あるいは要素を見ると、国際人(グローバル人材)は決して無国籍人やコスモポリタンではなく、自国への誇り、アイデンティティーを身につけることが強く要請されていることに気づく。とはいえ一国平和主義というわけでもなく、相手の文化を尊重し、しっかりと議論できることが重視されている。

 これは別のところで聞いた話であるが、例えば昨今話題の領土問題であるが、グローバル人材なる者は、自国政府がどういう根拠に基づいて領土権を主張しているのかをしっかりと説明できなければならない。その上で相手の言い分を聞き、もしその上で相手のほうが正しいと納得できた場合は相手に賛同しても構わない。重要なことは、ちゃんとした根拠に基づいて冷静に議論できるということである。感情的な反発、時には暴動は論外であるし、政治的問題に振り回されて、学術交流や、民間の親善交流がつぶされるなどというのはあってはならないことである。

 ま、理想を言えば、文化的な面では、自国文化への誇りやアイデンティティ、文化の多様性への理解を深めつつ、政治・経済面ではコスモポリタニズムを推進することこそが世界平和につながるように見えるが、現実には、あのEUでさえ内部でゴタゴタしているし、東アジアにおいては、近年ますます、国家間の利害が対立しているようにも思える。当分の間は、一国平和主義の枠内で、戦略的互恵を強め、対立を回避していくほかはないのかもしれない。

 ところで、私が多少気になっているのは、どういう形で、「地域文化・日本文化に対する深い理解と強固なアイデンティティー」を身につけるのかという点である。岡山市内の有名なお寺や庭園で話を聞いたり座禅体験をする(ひょっとして、こういうこと?)が具体的な実践例として紹介されていたようであったが、もちろん古くからの文化に触れることも重要であるとは思うが、大切なのは、今の日本のありさまを正確に理解し、発信することにあると思う。そういう点ではむしろ、NHKのCOOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポンで取り上げられているような話題を外国人留学生を交えて議論することのほうが有意義ではないかと、私は思う。

 次回に続く。