じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
2012年版・岡山大学構内でお花見(58)「岡大きびだんご」用?のキビ畑の朝と夜。

岡大きびだんご製造のためだろうか、今年は農学部農場の何カ所かでキビが育てられているが、まもなく収穫を迎えそうだ。写真上は早朝の風景。写真下は、旧暦八月十三日夜のキビ畑と月。

9月28日(金)

【思ったこと】
_c0928(金)日本心理学会・第76回大会(11)高齢者の次世代に対する利他的行動(1)利他的行動とは何か?

 全学FD研修の話題を連載していたために一週間ほど空いてしまったが、9月21日の日記の続きとして、日本心理学会第76回大会の感想とメモを記していくことにしたい。今回からは、3日目午後に行われた小講演、

●高齢者の次世代に対する利他的行動に関する研究

の話題を取り上げたいと思う。

 ちなみに、この小講演というのは、シンポジウムやワークショップとは異なり、原則として講演者と司会者1名ずつで構成される。かつて年次大会の主流であった口頭の個人発表(10分〜15分程度)とは異なり、時間はたっぷり1時間が用意されていた。個人発表の時代は発表者の言いたい放題という弊害もあって、時には支離滅裂な自慢話を聞かされることまであったが、小講演の場合は、あらかじめ申し込んで承認を受ける必要があり、かつ司会者を立てることで内容に連帯責任を持たせるというような意図があるように思う(←あくまで長谷川個人の感想)。

 講演要旨によれば、この発表では、「なぜ、高齢者が若い人を助けたいと感じ、行動するのか」という問いが立てられており、高齢者の次世代に対する利他的行動に関する一連の研究が紹介された。

 タイトルだけを拝見してまず思ったのは、「利他的行動」をどう定義するのかということであった。ちなみに、ウィキペディアの当該項目では、
利他的行動(りたてきこうどう、英: Altruism)は、進化生物学、動物行動学、生態学などで用いられる用語で、ヒトを含む動物が他の個体などに対しておこなう、自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動のこと。理想的には、利益は適応度で計られる。行動の結果だけで判断され、目的や意図は問わない。利他的行動の進化は動物行動学などで長く議論の対象となっている。利己的行為の対義語としても用いられる。行動の進化の文脈では、同じ意味で協力行動(Co-operation)が使われることもある。
といった説明がなされていた。また、このほか、いくつか辞書を参照すると、
  • 『新明解』他人の幸福を第一に考えること
  • 『明鏡国語辞典』自分のことよりも、まず他人の利益や幸福を考えること。
  • 『大辞林』自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。
となっている。ウィキペディアの定義では、「行動の結果だけで判断され、目的や意図は問わない。」となっているのに対して、国語辞典では、目的や意図が他者本位であることが重視されているようであった。

 いずれにせよ、「利他的」と言う場合、意図であれ結果的であれ、自分よりも他者が優先されることが第一であり、しばしば、自分を犠牲にすることが要件に含まれているように思われる。ということで「高齢者の次世代に対する利他的行動」として素朴に思い浮かぶのは、
  1. 少ない収入にもかかわらず、子どもや孫に小遣いを与える
  2. 少ない収入にもかかわらず、困っている人たちや団体に義援金を送る
  3. 学校教育のために自らの資産を寄附する
  4. 川でおぼれかけていた子どもを救うために自ら川に飛び込み、結果的に自らは溺れて命を落とす
  5. 自らの脳死確認後の臓器提供を登録する。
といったあたりである。もっとも、子孫に資産を譲るとか、福祉団体に寄附をするという行為が直ちに利他的であるとは言えない面もある。佐伯啓思の『反・幸福論』でも指摘されているように、個人が生きている間に享受した 楽しみ、自身の向上、努力、能力などなどは、自分の死によってすべて消失する。その虚しさを逃れるための1つの方策として、家族や世間のために何かを残すという行動をとることは十分にありうる。これは行動分析学的に言えば、「好子消失阻止の随伴性」(=自分の死によって好子が消失することを阻止するために、別の形で好子を残す)による強化であり、むしろ利己的と言えないこともないように思う。

 さて、今回の小講演で取り上げられたのは、高齢女性が、地域の子育て拠点で(血縁関係の無い)若年の母親や子どもたちのサポートをするというような行動であったが、うーむ、他者の世話をするというだけで果たして利他的と言えるのかどうかは、若干疑問であった。ご講演後にも質問させていただいたところであるが、例えば、自宅でペットや植物の世話をするというのは、それ自体が楽しいから(←行動分析的に言えば、ペットの反応や成長、植物の成長や開花などという結果によって強化される)そうするのであって、別段、ペットや植物に対して利他的に振る舞っているわけではない。子育て支援のような行動も、子どもたちの笑顔や成長自体が好子(正の強化子)になっているのであれば、敢えて「利他的」と呼ばなくてもよいのではないかという気がした。ご講演で紹介された一連の研究自体は非常に緻密で信頼性の高いものであったが、利他的の定義をめぐる上述の疑問、さらに、行動分析学の強化理論に全く言及されていなかったという点は、少々残念であった。

次回に続く。