じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2012年版・岡山大学構内でお花見(59)本部棟前に対峙する彼岸花 9月25日の楽天版(写真左)にあるように、岡大・南北通り西側の空き地には20年以上前から彼岸花の群生があるが、数年前よりその生息地域が西方向に広がり、本部棟とのツーショットも撮れるようになってきた。「日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。」とされていることから種で殖えたとは考えにくい。おそらく、この付近の遊歩道を設置する時に、工事で掘り出された球根が遊歩道西側の空き地で根づいたものと思われる。 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)を下半期と上半期に分けて公開中です。下半期分は随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。 |
【思ったこと】 _c0929(土)日本心理学会・第76回大会(12)高齢者の次世代に対する利他的行動(2)おばあさん仮説 昨日の続き。 小講演ではまず、家庭内での孫の世話や地域での次世代支援ボランティア活動に参加する高齢者がいることについて、「高齢者が自分たちよりも若い世代に手を差し伸べるのはなぜか?」というクエスチョンが提示された。昨日もちょっと述べたが、私のような行動分析学の端くれから見れば、この問いは、「孫の世話や次世代支援活動は何によって強化されているのか?」という問題に置き換えて考えることで決着できるように思うのだが、講演者はもう少し違った視点から問題をとらえているようであった。あくまで長谷川の勝手な解釈であるが、おそらくそこには、利己的主体としての人間という前提があり、その前提では説明できないということで、「利己的であるはずの高齢者は、なぜ自分自身の利益(趣味、娯楽など)ばかりを追求しないで、自身よりも身体的機能の高い次世代の若い人たちを助けるのだろうか?」という疑問が出てくるのではないかと思われた。 そこで登場するのが、Hawkes他(1998)による「おばあさん仮説(Grandmother Hypothesis)」である。人とチンパンジーとテナガザルを比較すると、妊娠可能な年齢にはそれほどの差はない。しかし、人間の女性のみが生殖機能喪失後も長く生き続けることで同一集団内の子育てを援助し、これがヒト社会の発展に大きく寄与したというものであった。 今回の講演では「おばあさん仮説」は帰無仮説のような形で提示されており最後には否定されることになるが、そもそも、この仮説がなぜ高齢者の子育て支援行動を説明できるのかについては、私のような行動分析学の端くれからは理解しがたいところがあった。仮に「おばあさん仮説」が正しいとしても、そこで説明できるのは、地球上で、なぜ、ヒトが、種として、チンパンジーやテナガザルより優位に適応できたのかという部分であろう。現代社会において、高齢者のうちの何%かが子育てボランティアに参加していたとしても、そのことは必ずしも、崇高な人類学的・適応論的使命を果たしているということにはならない。強いていうならば、子どもの笑顔や成長、若いお母さんからの感謝などは、子育て支援行動の好子(強化子)になりやすい。それがなぜ生得的な好子になるのかを考える時には「おばあさん仮説」も有効であろうが[※]、個人の行動の原因を説明するときには、「それがなぜ好子になっているのか」ではなくて「その好子がどういう形で行動に随伴してその行動を強化しているのか」という形で問題を立てなければならないと思う。もちろん、行動分析学の立場に立てば、ということではあるが...。 [※_]仮に子どもが嫌子なるような動物が地球上に出現したとしても、そういう動物では子どもを守る行動が強化されないから、子どもが好子になるような別の動物に比べると子孫は増えにくくなり、結果的絶滅する可能性が高い。もっとも、動物によっては、一切子育てをしない(=生まれた時から他人同様)動物もあるし、子どもが一定年齢を過ぎると突然「心変わり」して縄張りから子どもを追い出す動物もあり(=キツネの子別れなど)、それぞれ十分に適応している場合もある。 次回に続く。 |