じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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ヴィーナス像もお月見。 10月2日の早朝はよく晴れ、月齢15.8の月が明るく輝いていた。写真は一般教育棟構内(津島東キャンパス)のヴィーナス像と月。なお、十五夜の日の岡山後楽園でのお月見風景が楽天版にあり。 |
【思ったこと】 _c1001(月)日本心理学会・第76回大会(13)高齢者の次世代に対する利他的行動(3)世話をすることと自らの遺伝子を残すこと 9月29日の続き。前回も述べたが、この研究では ●高齢者が、次世代に対する利他的行動をとる背景には何があるのか というリサーチクエスチョンが提示され、それに対して、帰無仮説(あるいは、議論のための対立仮説)のような形で、 ●自らの遺伝子を残すために、自分と同じ遺伝子を持っている可能性の高い個体を助ける という適応論的アプローチが紹介された。しかし、私自身としては、若い母親たちへの子育て支援活動は本当に利他的と言えるのか、当該の高齢者自身がそれを楽しみとしているのであれば(←行動分析学的に言えば、子どもたちの笑顔や成長、母親からの感謝、あるいは社会的役割を果たしているという事実が好子になっているのであれば)、わざわざ「利他的」と呼ばなくてもいいのではないかという疑問がどうしても解消しなかった。もし、そういう仮説をとり、かつ、適応論的アプローチでの説明を試みるというのであれば、例えば、福祉施設内に入居している高齢者どうしが世話をすること、あるいは、ペットを飼ったり植物の世話をするという行動は、自らの遺伝子を残すことにはならないので、全く独立した別の理論で説明しなければならない。そうやって区別することにどれだけの意味があるのか、むしろ、子育て支援も、高齢者どうしの助け合いも、ペットや植物の世話もぜんぶひっくるめて、「世話をする」という行動がどういう形で強化されているのか(どういう好子【=強化子】がどういう形で随伴しているのか)を調べていったほうがよっぽど生産的なアプローチであるように思えた。適応論的アプローチによる説明というのは、ある種類の生物が地球上でどう適応し、子孫を増やし、進化していくのかということを説明する上では有用であろうが、個々人が「なぜそういう行動を積極的に続けるのか」という説明には向いていない。そして、後者の説明は、
いろいろツッコミを入れてしまったが、小講演のプレゼンテーション自体は、十分に精査されており、構成も適切であり、学術的には十分に評価されるべき内容であったと思う。 さて、本題に戻るが、小講演ではまず、「幼児期の養育者との関係が良好な高齢者は、意欲的に次世代への利他的行動をとるのではないか」というBowlbyの「内的ワーキングモデル理論」の妥当性が検討された。メモをしっかりとっていなかったので定かではないが、確か、高齢者に対して、自分が子どもだったときに養育者どどういう関係にあったかを思い出してもらい、そのことと支援意欲との関係を統計的に分析してものでは無かったかと記憶している。であるので、あくまで当事者の回想に委ねられている部分はあるが、「関係が良好であったかどうか」という主観的な印象評定ではなくて、子ども時代にどういう出来事があったかというような事実関係についての問いも含まれていたようであった(←長谷川の記憶によるため不確か)。しかしいずれにせよ、「内的ワーキングモデル理論」を支持する結果は得られなかったという。内的ワーキングモデルについては、ネット上でも多数の解説記事や論文がヒットするが、今回の小講演では支持されていなかったのでこれ以上ここではふれない。 次回に続く。 |