じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大本部棟周辺の花壇は、大学構内では最もよく手間をかけて整備されている。写真は、本部棟建物沿いに植えられているホウセンカ。ホウセンカは、私が子どもの頃から馴染みの園芸植物であり、生まれ育った家の庭の風景を思い出させてくれる。


2013年07月20日(土)

【思ったこと】
130720(土)選択のパラドックスと選択の技法(2)満足者(satisficer)と追求者(maximizer)の区別(1)

 昨日の日記で、シュワルツの本では、「満足者(satisficer)」と「追求者(maximizer)」の違いが強調されていると述べた。これらはどういう基準で区別され、どういう違いがあり、また、【追求者だった人は】どうすれば自分を【満足者に】変えることができるのだろうか。

 シュワルツの本によれば、satisficerとmaximizerは、Schwartzらが2002年に発表した、「マキシマイゼーション尺度」(Journal of Personality and Social Psychology, 83, 1178-1197.)のスコアによって操作的に区別することができる。この原著論文のPDF版は電子ジャーナル等で入手することができる。なお、この尺度は、Nenkov et al. (2008) によって短縮版が作られており、これまた、電子ジャーナル等で閲覧することができる。また、同じ2008年には、

磯部ほか (2008). 意思決定における日本版後悔・追求者尺度作成の試み. 心理学研究, 79, 453-458.

が発表されており、タイトルで検索するとPDF版を閲覧することができる。

 上掲の磯部ほか(2008).では、maximizerを「追求者」と呼ぶことについて、以下のような脚注がつけられている。
意思決定の分野では,maximization は“最大化”と訳されている。従ってmaximizerは“最大者”とするのが妥当だが,意思決定の分野外においても理解可能なようにSchwartz(2004 千葉・編集部訳 2004)を引用し“追求者”と翻訳した。“追求”とは広辞苑(新村,1998)によると“どこまでも後を追いかけ求めること”であり,大辞林(松村,1995)によると“目的とするものをねばり強く追い求めること”である。Schwartz et al.(2004)が定義するmaximizer も意思決定において絶えず最高の選択肢を追い求める人を示すことから,“追求者”と翻訳しても意味から逸脱しないとみなした。

ちなみに、上掲のSchwartz(2004 千葉・編集部訳 2004)は、引用文献表によれば、

●Schwartz, B. (2004) The tyranny of choice. Scientific American, 290, 70-75. 【千葉啓恵・編集部(訳)豊かさが招く不幸. 日経サイエンス, 7月号, 56-63.)

のことである。翻訳版については目をとおしていないが、英語原版は「The tyranny of choice.」で検索すると電子ジャーナル等で閲覧可能。

 なお、今回取り上げているシュワルツの本

Barry Schwartz (2004). The Paradox of Choice: Why More Is Less.

についても、

バリー・シュワルツ著 瑞穂のりこ訳 (2012). なぜ選ぶたびに後悔するのか ―オプション過剰時代の賢い選択術 武田ランダムハウスジャパン.

という翻訳が出ている。翻訳書の副題は、旧版では「―「選択の自由」の落とし穴 」となっていたが、いったん絶版となり、昨年秋になってから、新装版が出版された模様である。経緯はよく分からないが、出版社が2012年に倒産したため、流通が滞っている可能性がありまことに残念。なお、私自身はネット経由で手元に1冊購入済みである。原書の一部分の訳が割愛されているほか、原書にあったNotesが掲載されていないため、心理学専攻の学生が引用文献・関連文献を収集する場合にはきわめて不便。しかし、翻訳自体は正確であるように見受けられる。この翻訳書では、「maximizer」はカタカナで「マクシマイザー」、「satisficer」も「サーティスファイサー」と訳されていた。


次回に続く。