じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 9月4日未明に鹿児島県指宿市付近に上陸した台風17号は、午前09時に四国付近で温帯低気圧に変わった。しかし温帯低気圧に変わった後も前線の活動が活発化し、各所で大雨をもたらした。岡山県岡山市では
  • 9月1日:44.5ミリ
  • 9月2日:37.5ミリ
  • 9月3日:25.5ミリ
  • 9月4日:42.0ミリ
というようにまとまった雨が降り続き、9月4日までの積算雨量は149.5ミリで、わずか4日間で9月1ヶ月分の平年値134.4ミリを越えた。

 また、水不足が心配されていた四国の早明浦ダムは、8月30日頃に24.3%だった貯水率が9月4日朝には50%を突破、午前11時から放流を開始しつつ9月4日22時にはついに100%に到達した。

 写真は、9月4日18時23分頃に見られた、久しぶりの夕焼け。この日は夜まで大雨警報がずっと出されていたが、じっさいには15時以降は雨は止み、夕焼けや夜空の星を眺めることができた。



2013年09月04日(水)

【思ったこと】
130904(水)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(9)選択と後悔(3)なぜ後悔するのか?(3)過去事象そのものではなく「物語」が重要

 昨日に続いて、「なぜ後悔するのか?」についての考察。今回は、
  1. 後悔事象はなぜ嫌悪的なのか?
  2. 「してしまったことへの後悔」や「しなかったことについての後悔」は、受身的にふりかかる事象に比べてなぜ、より強い嫌悪事象になるのか?
という2点について考えていきたいと思う。

 まず1.であるが、この質問形では、後悔事象が嫌悪的でなければ後悔とは言わないのでトートロジーのようにも見えてしまう。しかし、ここで言いたいのは、多くの人にとって後悔事象になると思われる、
  • 病気の悪化
  • 事故発生
  • お金の損失
  • 競技での敗北
  • 不公平な扱い(差別や偏見など)
などが、なぜネガティブな情動を引き起こすのかということである。これはおそらく、
  • 個体の存続に不利益となるような変化は、生得的な嫌子になりうる(病気や事故など)。
  • お金の損失は、損失しなければ確保できていたはずの好子の消失につながる。
  • 敗北や不公平は、その社会・文化の中で形成された習得性嫌子であろう。
というように説明できるだろう。であるからして、生得性嫌子以外の事象の場合は、人によっては後悔対象とならない場合もある。たとえば、大金持ちは、お金が多少損失しても何とも思わないであろうし、スポーツは参加することが楽しみであるという人は勝敗にはこだわらない。また、厳格な身分制社会で育った人は、自分が身分の高い人と比べて不利益な扱いを受けてもそれを当然と考えてしまう。

 次に上記2.の
「してしまったことへの後悔」や「しなかったことについての後悔」は、受身的にふりかかる事象に比べてなぜ、より強い嫌悪事象になるのか?
について考えてみよう。これは例えば、
 Aさんは、独り暮らしの父親に、毎朝8時に電話で連絡をとっているのだが、前日夜遅くまで飲み会があったために友人の家で寝坊し、けっきょく12時まで電話できなかった。ところが、12時に電話してもつながらない。慌てて近所の人に見に行ってもらったところ、突然の心臓発作ですでに亡くなっていた。
というような不幸な事態があった場合の後悔について言える。Aさんは、おそらく、「もし、朝8時に電話していれば助かっていたかもしれない」と後悔するだろう。しかし、その後、父親の死亡推定時刻が前日の夜であったことが判明したとする。要するに、朝8時に電話していたとしてもすでに父親は亡くなっていてどうしようもなかったという次第である。この場合でも父親が亡くなった悲しみは消えないが、電話しなかったことへの後悔は消すことができるかもしれない。

 この種の後悔はおそらく、関係社会の中で自らの責任を果たすことを重視しているかどうかにかかっている。責任を果たすことを大切にしている人にとっては、それを果たせなかったことは大きな嫌子になる。しかし、あとで、自分の責任の及ぶ事象でないと分かれば、後悔をしなくて済むようになる。

 このように、後悔の大きさは、自分の責任や自己関与の程度によって大きく異なる。但し、後悔事象と想定されるものは、過去の客観的事実そのものではなくて、過去に起こったいくつかの出来事から構成される物語であるように思われる。起こってしまったことは変えられないが、歴史ドラマのようにシナリオはある程度書き換えることもでき、それによって後悔の程度を減らすことは可能であろう。

 ちなみに、「物語」という見方は、「昨日言及した「後悔事象取り出し行動」の場合にも当てはまるように思う。我々は常に現在に生きているのであって、タイムマシンでも無い限りは、過去の出来事をそっくりそのまま復元することはできない。我々が取り出すことのできるのは、過去の出来事にゆかりのある事物、手がかり、記録などに過ぎない。後悔事象を取り出す際には、それら事象は独立・断片的な形ではなく、何らかの物語に構成される形で取り出される。「物語」というと行動分析学的でないように思われるかもしれないが、要するに、「○○という行動をしたら、××という結果が随伴した」という、関連性をもって構成された言語的記述の総体と考えれば、ルール支配行動の一部とみなすことができる。

 ここからは全くの脱線になるが、遅延価値割引の理論にも、「物語」という見方をもっと入れた方がいいと私は思っている。例えば、「直後にもらう1粒の餌」と、「30秒後にもらう2粒の餌」のどちらが好まれるかという実験のように(←あくまで仮想の実験)、比較的短時間のスパンでの遅延の効果を調べるのであれば「物語」は要らない。しかし、「今100ドルもらうのと1ヶ月後に120ドルもらうのとではどちらを選ぶ?」というような比較は、動物実験から得られた理論とは、時間のスパンが全く異なっており、動物実験研究の成果をそのまま当てはめることには無理があるように思う。「今100ドルもらうのと1ヶ月後に120ドルもらうのとではどちらを選ぶ?」と訊かれた人は、現前の100ドルのキャッシュと、「1ヶ月後に120ドル支払う」という小切手を比較しているのではなく、実際には、「現前の100ドルを受け取った場合の物語」と、「1ヶ月後に120ドルを受け取るという物語」を比較しているのである。もちろん、1ヶ月に受け取れる額は130ドル、140ドル、...というように量的に変化させることは可能ではあるが、金額が増えていくことで選択を変えるようになるとしたら、それは、物語が書き換えられるからに他ならない。例えば、「現前の100ドルを受け取った場合には、そのお金を使って、岡山から大阪まで往復するという物語を作っていたとする(岡山と大阪の往復は、新幹線回数券使用でほぼ100ドル)。いっぽう、「1ヶ月後に120ドル」を受け取った場合は、京都まで往復ができる。けっきょくは、そのどちらが楽しめるかという選択になるはずだ。また、1ヶ月後に受け取れる金額が170ドルにアップされたとすると、「1ヶ月後に120ドルを受け取って京都まで日帰り旅行」という物語は「1ヶ月後に120ドルを受け取って京都まで1泊旅行」という物語に作り替えられる。この作り替えが、選択に質的な変化をもたらすのである。ま、実際の質問紙調査型の実験では、実験協力者はいちいちそんな物語を作っているヒマはなく、けっきょく、金利とか物価上昇とかを考慮に入れて「どっちが儲かったと思うか?」という経済学的な判断に終始しているかもしれないが...。

次回に続く。