じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 中央図書館(時計台)の耐震改修工事が始まり、骨格部分だけになった1階部分からガレキが撤去されていた【写真上】。この工事の予告があった時に若干疑問に思ったのは、2008年当時の大規模改修【写真下】との一貫性である。まだ5〜6年しか経っていないのになんでまた?と思った次第だが、どうやら前回工事の時に耐震補強したのは時計台本体のみであり、それ以外は外装のタイルと窓枠の取り替えだけであったようだ。確かに、前回工事終了後、館内はそれほど変わっていなかったように記憶している。



2013年10月02日(水)

【思ったこと】
131002(水)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(25)選択と順応

 10日ほど間が空いてしまったが9月23日の続きで、シュワルツの『選択のパラドックス』の話題。

 さてシュワルツの第八章では、実際に選択した結果に対する「順応」(Adaptation)の話題が取り上げられている。何かの商品を選択して、最初のうちはよかったよかったと思っても、そのうちにその変化に馴れてしまい、選択の喜びが薄れていくことである。

 この順応にはいくつかのタイプがある。

 まずは、選択によって実現した、より便利な生活に慣れてしまうと、「あたりまえ」の基準レベルが変わる。その状態がフラットに続けば、もはや選択の成果とは感じられなくなる。

 このほか、耐久消費財を購入した場合は、購入直後は新品で便利さも実感できるが、しだいに古くなり、そのうちにもっと便利な製品が出てくることで買い換えを検討することになる。購入という選択がポジティブに評価されるのは結局、購入直後だけということになる。

 「順応」に関するこれらの見解はまことにもっともだとは思うが、シュワルツの本は、どちらかと言うと「モノ」や「環境」に関する選択ばかりが論じられていて、選択の結果として可能となる行動をどう継続・強化するのかという視点が欠けているような気がしないでもない。

 例えば、2週間の休暇を海岸で過ごすか、高原で過ごすかという選択をしたとする。いずれを選択した場合であっても、その評価は、そこでどういう行動をして、その行動がどのように強化されたのかによって決まってくるはずである。単に毎日長いすで昼寝ばかりして、出された食事を食べているだけなら別だが、普通はそこで何らかの能動的な行動が行われるはずである。であるからして、どちらの選択が良かったかというような評価よりも、いったん選択したあと、そこでの行動がちゃんと強化されていたのかどうかをきっちり評価すべきであろう。

 自動車・テレビ・家具などの耐久消費財購入の場合も、買ったものを有効に使っていれば「やっぱり買ってよかった」というポジティブな評価はますます高まる。いっぽう、いろいろな機能があるという宣伝に惑わされて高価な商品を買ったもののその機能をちっとも利用しなければ、「順応」する以前に、「こんなもの買ったけどちっとも役に立たない」と後悔するであろう。要するに、評価すべきは、買ってよかったかどうかという選択自体ではなく、選択とセットになっている行動機会がどれだけ適切に強化されているのかにある。この視点は、特に、高齢者の選択において重要である。高齢者に「どれがいいですか?」という選択機会を提供する場合、どれが選ばれてもそのあとで可能な行動がちゃんと強化されなければ意味がない。

 次回に続く。