じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 農学部農場の田んぼ。そろそろ稲刈りの時期となった。過去日記によれば、昨年の稲刈りは10月10日であった。


2013年10月06日(日)

【思ったこと】
131006(日)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(27)順応と感謝/選択と比較(1)

 10月3日の続き。

 シュワルツの本の第八章は、順応(Adaptation)の一定の効用を認めた上で、順応は生物学的にも必然であり直接的に緩和することはできないが(...there is very little we can do to mitigate it directly)、そういうプロセスがあることを自覚した上で、きょうや明日ばかりでなく、何ヶ月や何年もあとまでを見越した決断をすることが望ましいというようにまとめられていた。また、その際には、現状に対する感謝(gratitude)の気持ちを持ち続ければ、順応がもたらす失望感、マンネリ感から脱せられる(←意訳)というようなことが説かれてあった。

 ここでいきなり感謝という言葉が出てきたことには少々面食らうが、基本的には、ごく当たり前の日常生活が守られていること自体に意義を見出し、ある意味ではそれを儀式化するということは、大切なことであろうとは思う。世間には、日常に飽き足らずに新しいことにチャレンジするという人も居られるが、非日常に喜びを見出すためには、日常がしっかり整っていることが不可欠というのが私の考え。日常が乱れてしまうと、日常も非日常も区別がつかなくなり、非常に不安定な状況に陥る。そういうことでは、何にチャレンジしてもうまくいくはずがない。

 シュワルツがいう「感謝」というのは、おそらく、Practical Wisdomの考え方に連動しているものと思われる。但し、そこまで言及するためには、心理学の外の世界に踏み出していかなければなるまい。




 さて、続く第九章では、比較することの弊害がいろいろと論じられていた。そもそも、何かがうまくいったかどうかというような評価は常に相対的なものであって、何かの基準と比較しなければ、質的な判断に至ることはできない。シュワルツは、主な比較として次の4つを挙げている【182ページ】。
  • 望んでいた(hoped)ことと、実際に起こったこととの比較
  • 予想していた(expected)ことと、実際に起こったこととの比較
  • 少し前の別の経験との比較
  • 他者の経験との比較

 これらの比較は単一でなされる場合もあるし、2つ以上が複合する場合もある。

 施設に入居している高齢者の場合は、若い頃のアクティブで能動的・主体的な生活と現状とを比較すれば、当然、昔のほうが良かったという評価にならざるを得ない。しかし、現状を受け入れたうえで、「昔は良かったが、昔は昔、今は今。今にもそれなりの良さがある」というように肯定的に受け止めることもあるようだ。また、戦前生まれの方の場合には、戦争中や戦後の辛い体験との比較が、現状を肯定的に捉える根拠になっている場合もある(←「戦争中に比べれば今の暮らしはずっといい」)。もっとも、この種の比較は、世代によって大きく異なる。

次回に続く。