じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 10月12日の日記に、「岡山富士」(一般には備前富士。芥子山)の山頂から太陽が昇る「ダイヤモンド岡山富士」の写真を掲載したが、その後の日の出の方位は日々南に移動しており、10月17日には山麓低いところからの日の出となった。ということで、私の住んでいる場所からの、この秋の「ダイヤモンド岡山富士」現象は終了。なお、春分の日より3週間ほど早い2月25〜27日前後にも同じ現象が観られる。2012年2月27日の日記に写真あり。


2013年10月17日(木)

【思ったこと】
131017(木)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(32)選択を階層的に捉える(2)

 昨日の日記で、選択を「大きい選択」とその中にある部品的な「小さい選択」に分けて、入れ子型に表現する方法を提案した。次回以降で述べるように、この方法には
  • 当事者が選択したことを後悔しているような場合、後悔の原因が入れ子のどのあたりにあるのかを探ることで改善をはかることができる
  • 選択したのちに思い通りの結果が得られない場合、どの部分の行動を強化すればいのかが分かる
  • 本当に重要な選択がどこにあるのかを図解で示すことができる
といったメリットがある。

 しかし、先にお断りしておくと、この方法にも限界がある。

 その1つは、大きな選択と、部品的な小さな選択との時間関係が表現できない点である。昨日挙げた、
  • 出かける
    • テーマパークに行く
    • ショッピングに行く
    • 山登りに行く
    • ...


  • 家で過ごす
    • 庭仕事をする
    • 料理をする
    • ゲームをする
    • テレビを視る
    • ...
という例の場合、「出かける」という大きい選択は、「家から敷地外に出る」という行動で捉えるならば、「テーマパークに行く」や「ショッピングに行く」、「山登りに行く」といった行動それぞれにおける行動連鎖の出発点にあたる行動となる。しかし、もう1つの選択肢「家で過ごす」のほうは、一定時間の状態を表しており、特定の具体的な行動ではない。朝9時から夕方19時までという時間スパンで行動を記録するような場合は、「家で過ごす」ばかりでなく「出かける」のほうも、単に「敷地外に出る」という行動の生起としてではなく、朝9時から夕方19時まで「外出している」という状態として記述しなければならない。ということで、選択肢を入れ子型に捉える場合は、当該の行動は生起頻度を数えられるような具体的行動なのか、それとも、一定時間内の種々の行動を可能にしている機会なのかを区別していく必要はある。




 では、大きな選択は常に先行し、そのあとで部品的な行動の選択があるのか? これは、要するに、大きな決定をしてから行動を始めるのか、それとも、小さな諸行動があってその結果として大きな決断に至るのかによって異なってくるように思う。

 例えば、ある人との結婚を決断するかどうかという場合も、以下の2つに分かれる。
  • 一度も出会ったことの無い人とお見合いをする場合:少なくとも「会ってみて、うまく話が進めば結婚してもいい」という程度の決断は先行しているので、決断が先にあって、そのあとで交際とか婚約といった種々の行動が起こる
  • 何年間にもわたって交際があり、そのうち同棲を始めて、最後に結婚を決めるような場合:この場合、結婚生活に関連する諸行動は、結婚という大きな決断以前からすでに起こっている。よって、上記とは逆で、種々の行動→決断という順序になる。

 もう1つ留意しなければならないのは、第三者から形式上の「大きな選択」が観察できたとしても、当事者にとってそれが選択にはなっていない場合があるという点である。

 上掲の「出かける」か「家で過ごす」かというのは、行動する空間が異なるという点ではしっかりとカテゴリー分けできるが、だからといって当事者が朝一番にその日の行動計画の第一歩として外出するかどうかを決断しているかどうかは定かではない。例えば「家で庭仕事をする」というのは、たまたま、家の敷地内に庭があるからそうしているのであって、当人にとっては「家で過ごす」行動の下位項目になっていないかもしれない。むしろ、「近くのホームセンターでポット苗を買ってきてから家の花壇にそれを植える」というように、「出かける」と「家で過ごす」という区分を取っ払って、一連の園芸活動として捉えたほうがスッキリする場合もある。

 要するに、選択を階層的に捉えるというのは、決して、どこかの地層をみんなで観察するというような客観事象の観察ではない。まずは当人がどういうカテゴリー分けをしているのかを個人本位で捉えていく必要がある。

 次回に続く。