【思ったこと】 140421(月)長谷川版「行動分析学入門」第2回(6)予測と制御に役立つ説明をめざす
これまで「行動の原因を明らかにするとは?」についてお話ししてきましたが、最後に、予測と制御に役立つ説明を目ざすことの意義を強調しておきたいと思います。
数学基礎論や理論物理学などと違って、人間や動物の行動現象は私たちの生活に直接関わっているため、心理学や行動分析学が誕生するずっと以前から、さまざまな形で説明が行われてきました。その中には、私たちの生き方の指針になるような哲学や宗教もあれば、そのいっぽう、「説明された」と勘違いしてしまうような話術・トリックもあります。
それら諸々の「説明」にはそれぞれメリット、デメリットがあり、一概に悪いとは言えません。但し、実際に、行動を変えようと思った時には、明らかに、それに役立つ説明と、何の役にも立たない説明があります。役に立たない説明には以下のようなものがあります。
- 循環論/記述概念との混同:「強いから勝った」、「調子がいいからヒットが打てる」
- 「心の中」に勝手に原因を創作:欲求や本能による安易な説明。「闘争本能があるから闘う」、「食べたいから食べる」、「やる気が無いからやらない」
- アナロジーによる説明:当たり前の現象との類似点、共通点を挙げる、擬人化。
- 疑似科学:前段で権威づけして、後半の主張も正しいと思わせる、有名人の言葉として引用
- 予測には役立つが、制御できない説明。←天気予報や天体現象の予報としては有用。「性格の違い」に言及することもこの部類。
また、杉山(1998、25ページ)では、「それを言ってはおしまいよ」として、行動の説明には役立たない、以下のような表現を挙げています。
- 期待して
- 知っているから
- 思ったから
- わかったから
- 〜するために
- 〜と〜を結びつけたから
- 〜したいから
但し、同一の言語コミュニティでは、真の原因が暗黙のうちに了解されている場合もありえます。例えば、「わかっていたのでできた」とか「わかっていないのでできなかった」という「説明」では、「できる、できない」という状態を「わかる、わからない」に言い換えただけの循環論になってしまう恐れがありますが、どういう学習・訓練をすれば「わかった」状態になるのかが、当事者間で了解されていれば、当事者間の会話の中で使われる「わかった、わからない」は、予測や制御に役立つ説明になる可能性があります。とはいえ、上掲の表現を安易に使わない心がけは大切です。
不定期ながら次回に続く。
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