じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大西門・西側花壇でテンニンギクの花が咲き始めた。テンニンギクは、この花壇が設置された当初に、アイスランドポピー、ガザニア、カワラナデシコなどと一緒に植えられ、その後、この場所に適応した最強種として繁殖した。補色関係にある背景の花は、左から順に、ストエカス・ラベンダー(フレンチ・ラベンダー)、コモンセージ、アヤメ。 |
【思ったこと】 140512(月)長谷川版「行動分析学入門」第6回(2)好子出現の随伴性による強化(9)自然随伴性と付加的随伴性(2)付加的強化の功罪 自然随伴性と付加的随伴性の効果の違いは、動機づけ理論における「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」の区別に対応しています。しかしながら、動機づけ理論を説く心理学者の中には、行動分析学は、付加的随伴性による強化のみで行動を変えようとしていると誤解・曲解しているむきがあります。 例えば、
「お金と感情と意思決定の白熱教室」〜楽しい行動経済学の世界〜 の中の最終回のところでも、 例えば報酬の与え方を間違えると、人は逆に働かなくなることが様々な実験から分かっている。実はお金よりもはるかに大切なのが「やりがい」だ。例えば報酬を与えてブロックでたくさんのロボットを組み立てさせる実験。ロボットが完成するたびにそれを壊して見せると、お金はもらえても人は徒労感にさいなまれ辞めてしまう。といった実験研究が紹介されていました。 これらの事例はいずれも、お金を好子とした付加的随伴性による強化が必ずしもうまく働いていないことを示唆しています。しかし、だからといって、「好子出現の随伴性による強化」が否定されたことにはなりません。
要するに、「好子出現の随伴性による強化」という考え方が間違っているのではありません。付加的随伴性(ご褒美や金銭的報酬)があまりにも強く働いたために、本来そこにあった好子(完成、問題解決、新たな知識など)が隠蔽されてしまったことに問題があったのです。 では、付加的随伴性というのは、自然随伴性を隠蔽してしまう悪者であり、教育場面では排除したほうがよろしいのでしょうか? 私はそうは思いません。 もちろん、最初から自然随伴性だけで強化できるような行動であれば、わざわざ、人為的に好子を付加する必要はありません。お絵かきに熱中している子どもにわざわざご褒美を与える必要はないし、動物好きの子どもが楽しみながらペットの世話をしているのであればお小遣いを与えて強化する必要もありません。 しかし、小学校で学ぶような勉強、あるいは一定のスキルを必要とするようなスポーツやピアノの演奏などは、出発段階から自然随伴性が整っているわけではありません。算数の四則演算が大好きだとか、ピアノのドレミファを正確に弾くことが楽しいという子どもはまず居ないでしょう。そういう初期段階において付加的な好子をうまく随伴させれば、いずれはその子どもは、数学の定理を証明することに熱中したり、趣味としてピアノの演奏を楽しめるようになります。つまり、自然随伴性だけで「自走」できるようになるまでの橋渡しをするのが付加的な随伴性なのです。 付加的随伴性を一切排除したとしても、何らかの偶発的なきっかけで、数学が好きになったり、ピアノに熱中したりする可能性はありますが、その確率はきわめて低い。むしろ、付加的随伴性をうまく活用して、いろいろなジャンルの行動を一定段階まで強化し(=「興味を持たせる」ということ)、そこから先は、自然随伴性による「自走」に委ねるというほうが、多様な可能性を与えたという点で有意義ではないかと思われます。 次回に続く。 |