じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 田んぼの夕焼け。

 台風4号は6月19日夕方に和歌山県南部に上陸したあと、東海や関東甲信、それに東北南部を縦断し、6月20日日午前09時に東北の東の海上で温帯低気圧に変わった。もっとも、その後も梅雨前線が停滞したため、6月20日の岡山は雲の多い天気となった。写真は、ようやく晴れ間が出てきた頃に見られた、農学部農場の田んぼの夕焼け。19時07分頃撮影。

6月21日(木)

【思ったこと】
_c0621(木)マイケル・サンデル5千人の白熱教室 (5)成績優秀者や読書に対する金銭的インセンティブの是非

 昨日の続き。金銭的インセンティブの話題では、続いて、
ニューヨークやシカゴ、ワシントンD.C.では、生徒に勉強のやる気や読書習慣を身に付けさせるために、成績がAであれば50ドル、Bであれば40ドルというように金銭的インセンティブを払うことにしました。またダラスでは、本を1冊読む度に2ドルあげる、という試みをしました。
という話題が提供された。【講義録はこちらその続き。】

 サンデル先生によれば、
ニューヨークの場合、良い成績の生徒に報酬を払う方法を取りましたが、結果、生徒の成績は上がりませんでした。ところが、本を1冊読めば2ドル与えるとしたダラスでは、地域の生徒が本を以前より読む結果に結び付きました。ただ残念ながら、短い本ばかり読むという習慣にもなってしまったのですが...。
というように、その試みの結果は地域によってまちまちであったという。

 こうした金銭的インセンティブについては、
  • あくまでもお金は自分の外にあるもので、自分の能力や内側にあるものではない。本を読むとか能力開発においては、自分の内側のモチベーションを高めることが大事。
  • 本を読むことでお金をあげるというのは「何かをすればお金がもらえるのが当たり前だ」という潜在的な意識付けになってしまい、むしろ教育的にはマイナス。
  • インセンティブとしてお金を使うのは、反対。子供が勉強の本質そのものの面白さに気付けるように、勉強は楽しい、将来こう役立つということを教えるのが親としての役割ではないか。
といった反対論(ミツヒロ君)が寄せられた一方、
  • きっかけは何でもいいから、本を読む面白さに目覚めれば、それでしめたものではないか。常にお金がモチベーションではダメだが、家のお手伝いのようにお金をもらえるから必ずやるんではなくて、お金をもらえるという市場のメカニズムは知りつつ、自発的にしようと目指していけばいい。
という賛成論も寄せられた(リサさん)。ちなみに、サンデル先生御自身は、リサのこうした意見に理解を示しつつも、金銭的インセンティブの限界や弊害を強調しておられるように見えた。(←講演全体の趣旨から言っても、否定的な事例として紹介されなければ意味が無い。)

 さて、以上の議論は、言うまでもなく、心理学の内発的動機づけ理論に関連している。内発的動機づけを重視する立場の人は、金銭的インセンティブ(行動分析学で言えば、金銭という好子により勉強行動や読書行動を強化すること)は、勉強や読書本来の面白さを隠蔽してしまい、「何かをすればお金がもらえて当たり前」という悪しき習慣を身につけさせてしまうと主張する。こうした主張は、「お金は卑しいものだ」といった素朴な倫理観とも結びついて、一定の勢力を形成する。

 いっぽう、行動分析学的な立場から言えば、お金に限らず、様々な付加的好子(←内発的動機づけの立場の人が「外発的強化」と呼ぶような強化子)は、行動内在的好子(勉強や読書自体がもたらす好子)による強化が不十分な段階において、そういう行動が起こりやすくするきっかけをつくる補完的役割を果たす。また、当該の行動が内在的好子だけで強化されるようになれば、もはや付加的好子は必要ない。いつまでも外部から与えられる報酬に依存してしまうとすれば、付加的好子による補完や行動が行動内在的好子だけで自走できるようになるための橋渡しの技法が下手であったからそうなるのであって、適切な強化プログラムに基づいて、きっちりと評価をしながら段階を経て強化していけば、決して弊害にはならない。むしろ、内発的動機づけを重視するあまり、当人の自発性に頼りすぎることのほうが問題であり、改善を遅らせることになるのではないかと思う。

 であるからして、私の立場としては当然、金銭的インセンティブを含め、シール、表彰、といった多様な好子を用いて、勉強や読書を付加的に強化し、当該行動の自走(行動内在的強化)までの橋渡しをすることには大いに賛成である。もし弊害があったり、効果が認められないとしたら、その原因は、原理が間違っているからではなく、技法的な未熟さ、失敗に求められるべきであると思う。

 金銭的インセンティブとして挙げれた事例や議論の中には、そうした技法的な失敗と思われるものがいくつかあった。

 まず、「ダラスで、本を1冊読む度に2ドルあげる、という試みをしたところ、地域の生徒が本を以前より読む結果になった。但し、短い本ばかり読むという習慣にもなった。」という一部成功、一部失敗の事例であるが、これは明らかに、本の冊数だけで強化しようとしたことに技法的な問題がある。そうした弊害を避けるためには、いろいろな指定図書を(ページ数、内容)に分けてポイント化し、かつ、ちゃんと読むことが強化されるように、読書感想文コンテストなども併せて実施することが望ましい。

 次に、金銭的インセンティブに反対を唱えたミツヒロ君の、
  • ミツヒロ 小学生のときに、テストで100点を取ったら500円をあげるよとは言われました。
  • サンデル それでいくらもらいましたか?
  • ミツヒロ いや、80点とか90点はいくんですけど、ノーミスで100点はいうのは難しかったので、結局0円でした。
というエピソードであるが、このケースでは、テスト勉強のために努力することが、適切な確率で強化されていないということに問題がある。最初は60点以上、次は70点以上というように、少しずつ基準を上げつつ、適切な強化確率を保つことが肝要である。[

追記]
一般論として、成績優秀者上位10%にインセンティブを与えるというような強化システムは、対象者全員の学力のボトムアップには役立たない。なぜなら、このやり方では恩恵を受けられない「負け組」が90%にのぼってしまう。そのうち上位10%ぐらいはもう少し努力すれば「勝ち組」になれるかもしれない反面、残りの大多数はむしろ「負け組」のままで、何の強化もなされないからである。
 次回に続く。