じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
6月6日に続いて、「水田のパラレルワールドの夜景」。今回の写真は、岡大・東西通りから南方向に撮影したもの。まだ田植えは全体の1/3程度しか完了していない。 |
【思ったこと】 140615(日)長谷川版「行動分析学入門」第9回(5)好子出現の随伴性による強化(38)刺激弁別(5) 前回、刺激弁別と概念形成について少しだけ取り上げました。概念形成というのは、一般に、 ●違いは区別できるが、同じモノ(同じカテゴリー)として対処する というような意味です。例えば、ホテルに泊まる時、
これらは、フロントから伝えられた情報を元に、部屋番号という弁別刺激を「奇数か偶数か(例えば、「数字の末尾がニシロクハチゼロか」というようにカテゴライズする)、「1029番以下か、1030番以上か(例えば、「数字の十の位が012のいずれかであるか3より大きいか」)」というように再分類して、新しく分類された基準を弁別刺激として行動していると言えます。 このほか、自然風景や絵画作品においては、それらの刺激に含まれる共通特性をもとに概念形成が成立する場合もあります【自然に設定された共通性に基づくことから「自然概念」とも呼ばれます】。例えば、「木の写っている写真と写っていない写真」、「ピカソの絵とモネの絵」などです。これらの区別は、人間はもとより、ハトでも弁別できるようになることが実験的に明らかにされています。 いっぽう、 ●違いも区別できず、同じモノとして対処する という場合もあります。例えば、日本人の場合は、「アール R」と「エル L」の区別ができないと言われています。よって、「Rice(コメ)」と発音されても「Lice(louseシラミの複数形)」と発音されても、日本語の会話の中では「ライス(ご飯)」として聞こえてしまいますし、それで通用します。これは、日本人の聴覚に障害があるとか、発声器官が未分化であるということではありません。幼少の時から「アール R」も「エル L」もその中間的な子音もみな「らりるれろ」と聞こえるように、あるいは発声できるように学習されてきたからそうなっているのであって、日本人の子どもが生まれた時から英語圏で生活していれば、難なく区別できるようになるはずです。 2枚の10円玉が同じか違うかという事例でもすでにお話ししたように、違いというのは、それらの事物の物理的特性だけで決まるものではありません。文化や慣習、さらに当事者のニーズ(10円玉の例で言えば、自販機にコインを入れようとしているのか、マニアとして稀少な10円玉を集めているのか)によっても変わってきます。 いっぱんに、生理心理学や認知心理学的では、 ●形や色を見分けるメカニズムはどうなっているのか? ということに関心が向けられますが、行動分析学的視点では、
弁別刺激のお話の冒頭部分で、 種々の「問題行動」の多くは、弁別ができないことに原因があります。「問題行動」の多くは、場所や文脈に適合しない場所で起こるからこそ「問題」となるのであって、その行動自体が「問題」であるとは限りません。と述べましたが、さらに付け加えて言えば、社会的に適応していくためには、弁別ができるようになるばかりでなく、適切に概念形成が行われ、また適切に般化していくこともまた必要です。 次回に続く。 |