じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 北福利施設(マスカットユニオン)の入り口付近で、「あなたの好きな作家は?」という人気投票が行われていた。まだ始まったばかりだが、シールの数を見ると、伊坂幸太郎、有川浩、森見登美彦、東野圭吾氏の得票が多いようである。もっとも小説を全く読まない私は、恥ずかしながら、これらの作家の作品を1編たりとも読んだことが無い。お名前のほうも、東野圭吾氏のお名前を耳にしたことがあるだけで、それ以外の方は、まったく存じ上げていない。この投票イベントに挙げられているの中で、私が実際に作品を読んだ作家は、「その他」のところにある夏目漱石とコナン・ドイルのみであった。

 コナン・ドイルの作品(但し、翻訳書のみ)は、『シャーロック・ホームズ』シリーズの全編のほか、『失われた世界』や 「ドイル傑作集・ミステリー編」に収められている『五十年後』などの作品を好んでいる。もっとも、歴史小説や晩年の心霊主義関連には全く興味が持てない。


2014年7月23日(水)

【思ったこと】
140723(水)長谷川版「行動分析学入門」第14回(1)補遺(1)好子や嫌子の定義と強化や弱化の定義がトートロジーにならない理由

 今回からは、授業中にお話しできなかったいくつかの点について、補遺という形で補足をさせていただきます。1番目の話題は、好子や嫌子の定義と、強化や弱化の定義を巡る問題です。1998年11月17日のWeb日記を再掲すると、
まず、そもそも強化とは何ぞや?ということであるが、杉山他『行動分析学入門』(産業図書、1998, 28頁)の言葉を借りれば、

ある行動の直後に好子【“コウシ”、長谷川注:正の強化子」のこと】が随伴し、その結果、その行動がより起こりやすくなる事実そのものを指す。

ということになる。
 この定義だけから見ると、「ある行動が増えたのは強化されたからだ」というのは、「ある行動が増えたのはそれをしたいという欲求が高まったからだ」、「それをする気が増えたからだ」、「それをしたいという意識が高まったからだ」などと同様の循環論に陥ってしまう。
 要するに、行動が増えた(強化された)という観察事実をもって好子を定義している以上は、行動が増えた原因に好子概念を用いることはトートロジー(循環論)に陥るのではないかという議論です。

 これに関連する話題は、行動分析学会年次大会のシンポでも何度か取り上げられたことがあります【例えば、日本行動分析学会第19回年次大会(2001年)ご参照】。

 トートロジーではないとする有力な論拠としては、
  1. 場面間転移性(Meehlによる主張):ある事象が強化事象であるということを知ると、その事象が(同一個体または、同じ種の別の個体の)別の行動の強化刺激にもなりうると予見できること。
    →特定個人の中では好子や嫌子は比較的安定的に作用するため、ある行動を強化している好子が別の行動の好子になる可能性がきわめて高いということ。これによって、一度も生じたことの無いような行動を形成することも可能となる。
  2. 制御可能性:ある事象が強化事象であるということを知ると、その事象を随伴させる確率(強化率)や随伴のパターン(強化スケジュール)を操作することによって、行動の起こり方を制御することができること。
    →好子や嫌子を同定できれば、それを操作することで行動を変えることができる。
 具体例として、例えば、ある子どもが算数ドリルを1枚完成するたびに動物シールを与えたたとします。これによって、算数ドリルをこなす行動が確実に起こるようになったとすれば、それは強化されたといい、また、動物シールは、好子として定義できます。但し、この枠組みだけでは、
  1. 動物シールを与えることによってドリルをこなす行動が増えた。よって動物シールは、その子どもにとっての好子として機能することが確認された。
  2. 算数ドリルをこなすようになったのは、動物シールという好子が出現し強化されたためだ。
という2つの言明はトートロジーになってしまいます。なぜなら、1.で定義した好子という概念が、2.では説明概念として使われているからです。しかし、これは、以下の「やる気」概念のトートロジーとは明らかに違います。
  • 子どもがドリルをこなしたのは、やる気があったからだ。
  • 子どもがドリルをサボったのは、やる気が無かったからだ。
「やる気」概念の場合は、場面間転移性も制御可能性も全くないからです。
  • 場面間転移性:ドリルをする時の「やる気」を吸い上げて、お手伝いをする行動に適用することは全くできませんが、動物シールは、この子どものお手伝い行動を強化する上でも有効となります。
  • 制御可能性:第三者が「やる気」を制御することはできません。【「やる気を出せ」といって励ますのは、「やる気」そのものを増やしているのではなく、「やる気を出せ」という言語的激励自体が付加的な好子になっているからです。】。いっぽう、動物シールの場合は、それを与える頻度を制御することができます。子どもが、ドリルの完成という達成型の好子で強化されるようになれば、もはや動物シールという付加的好子は不要となります。お手伝いの場合も、家族への貢献自体が好子となれば動物シールは要りません。


次回に続く