じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 秋分の日、岡大観音にも彼岸花が供えられていた。「岡大観音」というのは私が勝手につけた呼称。詳しくは2011年5月31日の日記ご参照。


2014年9月23日(火)

【思ったこと】
140923(火)日本心理学会第78回大会(14)ACTとマインドフルネス(9)指定討論(1)ネガティブな思考から距離を取る

 昨日の続き。シンポの指定討論では、マインドフルネスやACTについてさまざまな質問が提出された。もっとも、シンポではありがちなことだが、すでに時間オーバーとなっていて、話題提供者各位がそれらの質問に丁寧に回答することはできなかった。

 まず、「距離を取る」ことについていくつか疑問が提出された。【←いずれも長谷川の再解釈によりもとの質問の表現変更あり】
  • なぜ「距離を取る」とネガティブ思考が緩和されるのか?
  • 「距離を取る」ことで不安がなくなることを実証した研究はあるのか?
  • ネガティブ思考は必ずしも悪いとは限らない。例えば、心配は問題解決の機能を持つ。「距離を取る」と、問題から逃避したり問題を先送りしてしまう恐れがあり、けっきょく、問題解決の機会を逸してしまうというデメリットはないのか?

 ちなみに、ここでいう「距離を取る(distancing)」とは、
  • ネガティブな思考はそのままにしておき、感情や認知には働きかけずに、呼吸や瞑想に能動的な注意を向ける。
  • 瞑想中にそのような思考が浮かんでも、そのままにしておき、注意を繰り返すことで距離が置けるようになる。
  • 当該の思考から何かを見るのではなく、思考そのものを見る。
というような意味であるようだが【←あくまで長谷川の解釈。参考文献が、こちらこちらにあり。】、なかなか難しい。

 話題提供者からの簡単な回答にもあったが、「距離を取る」というのは、いつも「距離を置く」という意味ではなくて、必要に応じて「距離が取れるようになる」というように考えるべきであろう。ネガティブな思考を積極的に活用して前向きな生き方をしている人は、わざわざ距離を取る必要はないが、ネガティブな思考にとらわれて、その悪循環から脱せられない状態の人にとっては重要な対処法になりうると思う。

 上記の議論は、「ことば」を抜きにしては語れないように思う。今回のシンポでも、パワーポイントのスライドの中に、

こころのりんしょうa・la・carte 第28巻1号〈特集〉ACT=ことばの力をスルリとかわす新次元の認知行動療法

の紹介画面があり、またその次のスライドに、「20世紀は言語(哲学)の世紀であった。その次は。。。」という画面が用意されており、ヴィトゲンシュタインやクワイン、「言語の向こうには何がある?」といった文字が瞬間的に見えていたのだが、時間不足で省略されたのか、もしくは私の聞き逃しなのか、残念ながらこのことについての議論は殆ど無かったように思う。

 9月18日にも記したように、身の回りの嫌悪的な事象自体を避けるには、
  • レスポンデント条件づけ的な手法によりそれらの刺激の中性刺激化を図る
  • 当該の嫌子を除去する(嫌子消失の随伴性)
  • 嫌子出現阻止の随伴性により、嫌子の出現を未然に防ぐ
  • それらの刺激に晒されるような場所から回避する
といった方略が有効であるが、客観的に存在している嫌子からいくら「距離を取った」としても、頭の中で勝手に浮かんでくる言葉、つまり自発される言語反応はどうにもコントロールできない。「距離を取る」というのは、そういう言語反応の生起頻度を無理やり下げようとするのではなく、言語反応にくっついてレスポンデント的に誘発される嫌悪的な情動反応を低下させることを目ざすというのが私の理解なのだが、まだまだ勉強が足りないので、さらに関連書で学ぶことにしたい。

 次回に続く