【思ったこと】 150212(木)オックスフォード白熱教室(21)嘘つきのトンチ問題
一昨日の日記と昨日の日記で、
- 「この命題はウソである」
- クレタ人はみなうそつきである、とクレタ人が言った。
という言葉のパラドックスの話題を取り上げた。番組内容からは脱線するが、ここで「ウソ」についてもう少し詳しく考えてみたいと思う。
まず、「嘘」の辞書的な意味を引用する。
- 大辞泉:1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽(いつわ)り。「―をつく」「この話に―はない」 2 正しくないこと。誤り。「―の字を書く」【以下略】
- 新明解:有利な立場に立ったり話を面白くしたりするために、事実に反する(かどうか分からない)ことをあたかも事実であるかのように言うこと。また、その言葉。【以下略】
それぞれの辞書に記されているように、「嘘」という言葉は他にも様々な文脈で使われるが、この連載で取り上げている数学・論理学上の「嘘」というのは、真の命題に対抗して偽の命題を提示すること、もしくは、真の命題を必ず否定し、偽の命題を必ず肯定することであり、上掲のような「人を騙すため」とか「話を面白くしたりするため」という意図は前提とされていない。
これに関連した興味深いなぞなぞとして、
道が天国行きと地獄行きに分かれている。もちろん天国に行きたいが、どちらかはわからない。分かれ道には正直者と嘘つきの番人がいて、どちらかに1回だけ質問が可能。さて、何と尋ねればいいか。
というのがある。このバリエーションとして、分かれ道に1人だけ(正直者と嘘つき者のどちらかは分からない)いる場合、この水が飲めるかどうかを問う場合などがある。
重要な点は、いずれの場合も、「嘘つきは常に嘘をつく」という前提である。これは結局、
ある惑星には、「はい」の時に首を縦に振り、「いいえ」の時には横に振る人と、「はい」の時に首を横に振り、「いいえ」の時には縦に振る人が居る
というのと同じで、肯定・否定を表明する合図が正反対になっているというだけのことだ。であるからして、上記の意味での嘘つき人ばかりの国で暮らしても何ら困ることはないし、誤解も生じない。実際、地球上においても、インド人やブルガリア人は、「はい」の時に首を横に振るそうだが、それで不都合が起きているという話は聞かない。
いっぽう、肯定・否定の意味内容が、命題の真偽とは異なっている言語もあり、これはかなり厄介だ。最もよく知られている事例としては、
●今朝、朝食を食べませんでしたね?
という質問に対する「はい(YES)」「いいえ(NO)」の返事のしかたである。朝食を食べなかった場合、日本人は「はい」と答えるが、アメリカ人は「NO」と答える。これは、要するに、
- 日本人の場合:「私は朝食を食べなかった」という命題の真偽を問われたので、その命題を肯定する意味で「はい」と答えた。
- アメリカ人の場合:質問形式が肯定形(食べましたか?)、否定形(食べませんでしたか?)のいずれであっても、質問の本質は「私は朝食を食べた」という命題の真偽を問うものであるので、それを否定する意味で「NO」と答えた。
という違いである。なお、より分かりやすい説明として、「日本語はコト、英語はモノ」という考え方がある。日本語では「朝食を食べませんでしたね?」はコトに関する質問であり、「食べなかった」というコトが存在していたので「はい」と答える。いっぽう、英語では、「朝食を食べませんでしたね?」というのは朝食というモノがテーブルの上にあったか無かったかを問う質問であり、無いものは無いので、「NO」と答えるという考え方である。この「コト、モノ」は、「私は少年だ」がなぜ「I am a boy.」になるのかといった不定冠詞のつけかたの説明にも使えるので便利である。【日本語の「私は少年だ」は、私はいま少年時代であるというコトの表明。英語の「I am a boy.」は、この世界には少年というモノが多数存在しており、私はそのモノの1つであるという表明】。
元の「天国か地獄か」問題のバリエーションとして、
- 外見上、日本人かアメリカ人か区別がつかない番人がいる。ある道が間違っている時、「行かれませんよね」という問いに対して日本人は「はい」、アメリカ人は「いいえ」と答える。また、ある道が正しい選択である時、「行かれませんよね」という問いに対して日本人は「いいえ」、アメリカ人は「はい」と答える。
- いずれかの番人に対して、「こちらの道を進んだら天国には行かれませんよね?」日本語英語併記の質問だけが許されている。
- 番人の答えは「はい」または「いいえ」のみである。
- どうすれば、天国への道を知ることができるか?
というクイズが考えられる。この解法は不可能のように思えるが、トンチ問題としては至極簡単。番人が日本語で答えるか、英語で答えるかで、区別ができてしまう。
次回に続く。
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