じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
7月10日の岡山は日中よく晴れ、最高気温は31.1℃まで上がった。夕刻、北西の空に、夕日に照らされた積乱雲の影による「天空ロード」が出現。 |
【思ったこと】 150710(金)ようこそ先輩 世田谷区立若林小学校 7月10日の夜、NHK 課外授業 「ようこそ先輩」で、 「街はキャッチコピーのかたまりだ!」山田 五郎(編集者・評論家) の再放送をやっていた。こちらの記録によると、初回放送は2014年9月26日であったが、あいにく見逃してしまい、その後、NHKの再放送ウォッチに登録しておいたところ、しっかりと録画することができた。 今回の先輩は、山田五郎さんであった。ウィキペディアのリンク先によると、山田五郎さんは1958年12月のお生まれであるという。私は1952年生まれなので私が卒業した翌年度に小学校に入学されたようである。 もっとも、ウィキペディアによると、山田五郎さんは9歳から高校卒業までの10年間を関西で過ごされ、「大阪府豊中市立原田小学校卒業」と記されていた。であるなら、原田小学校のほうで「ようこそ先輩」に出演されてもよかったのではないかという気もするのだが、低学年の時に在籍された若林小学校のほうにそれだけ深い思い出が残っていたのだろうか。 番組冒頭のほうの思い出話のところで、「この辺には植木屋さんとか畑がいっぱいあって肥だめっていうのがあったんだよね」という話をしておられたが、おいおい、当時の若林はそこまで田舎ではなかったと思う。確かに1960年頃までは、現在の若林1丁目、2丁目、及び、近隣の羽根木公園、世田谷城址公園のあたりは畑がいっぱいあったが、1964年東京オリンピック前に建設された、環七通りに影響で宅地化が進み、農地やケヤキの大木は次々と姿を消していった。 ちなみに、私が幼稚園通園の頃は、リヤカーをひいた糞尿業者さんが、桶で汲み取りをしていた(汲み取りとは別に、トイレを消毒する「衛生屋さん」もあった)。その後、バキュームカーが登場し、さらには下水が普及。いずれにせよ、若林周辺の「肥だめ」は相当昔に姿を消していたのではないかと思う。 少々脱線してしまったが、番組では、松陰神社や商店街、世田谷線のキャッチコピーを作るという課題が与えられた。しかし、当初、児童たちが考えたのは、「キャッチ」、「面白がる」という視点が抜けていて、「世田谷線の魅力」、「手作りおでん○○屋」というような説明的なタイトルになっていた。その後の改良により、「若林に山!?」、「見ためはたこやき!? 味は何?」、「学問の神 若林にねむる」、「本堂の奥には・・・」、「世田谷線 のんびりすすもう」という、それぞれ、人を惹きつける、なんとなく謎めいて面白そうなコピーができあがった。 じつは、若林一帯は、今年になって一度歩いたことがあった。街並みはもちろん、松陰神社や豪徳寺境内も大きく変貌していることに驚いた。 フォートラベルへのクチコミ投稿記事のタイトルは、
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