じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 151018(日)『嫌われる勇気』(60)対人関係とボスニア内戦 10月15日の続き。今回は、250頁のあたりに記されている、 ●すべての悩みは対人関係の悩みである→われわれの幸福もまた対人関係のなかにある のあたりについて考えを述べさせていただくことにしたい。 10月10日の日記では、私自身は、この考え方についての私の意見は×印、「そういう考え方をするのは自由だが、私には別の考えがあり、変えようとは思わない。」という態度を表明した。その一番の理由は、現実の対人関係のようなローカルで不安定な世界に縛られたくないという点にあった。しかし、アドラー心理学に限って言えば、自分と他者の課題を分離しており、他者に依存しない生き方をよしとしているところからみれば、私の考え方とそれほど違いはのかもしれないという気もする。要するに、他者と相互依存して価値観の融合をめざすのか、他者と一定の距離を置いてお互いの自立を尊重するのか、という議論で言えば、私は間違いなく後者である。「共同体感覚」という語感だけからはアドラー心理学は前者のようにも見えるが、課題の分離を前提とすれば後者の側面も強いと言えるかもしれない。 ここで少々脱線するが、10月6日放送のNHK「BS世界のドキュメンタリー」: 故郷の村で・・・ を録画再生で視た。リンク先に記されているように、イスラム系とセルビア系民族が共存していたボスニア北部の美しい村ケブルヤニでは、1992年、セルビア人の隣人や尊敬していた教師が突然、イスラム系住民に対する攻撃を開始。隣人や肉親は拷問、強姦、虐殺に遭い、当時800人だった村の人口は現在50人になってしまったというという衝撃的な内容であった。 リンク先にも記されているように、この内戦の恐ろしいところは、親しく暮らしていた隣人や、尊敬していた学校の先生が、突然加害者に豹変してしまうところである。高校の英語教師でかつては生徒の母親的存在だったという女性は、内戦後には、ボシュニャク人強制収容所の広報担当となっていた。ここでは調査施設と称して拷問がくりかえされ、呼び出されたあと行方不明、のちに遺体が確認された犠牲者も少なくないという。また、尋問の現場には、尊敬していた高校の男性教師が居合わせており自分に侮辱的な言葉を浴びせたという。番組では、内戦終了後に、その教師を再び訪ねるシーンがあった。 別の国の軍隊が攻め込んできて、それに対抗して国民が一致団結して戦うというのであれば、少なくともその国の中の隣人同士は強固な関係で結ばれるだろうが、上記のケースでは隣人や、教師と生徒が加害者と被害者になるというのだからいたたまれない。 もっとも、加害者とされた人たちは本質的に悪人であったわけでもあるまい。殆どの人間は、ある状況・文脈のもとでは善人にもなるし、別の状況では、虐殺者にもなりうるということだ。これは、シリアでもそうだし、過去の戦争においても同様。そのことを前提とした上で、できるだけ衝突を避け、助け合うことがメリットとなるようなしくみを作っていくほかはあるまい。 不定期ながら次回に続く。 |