じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大西門・西側花壇のヒヤシンス。2年目以降に綺麗に花を咲かせることは難しいヒヤシンスであるが、ここにある株は昨年とほぼ同規模に花をつけている。枯れ草などから養分を吸収しているためかもしれない。 |
【思ったこと】 160317(木)行動分析学における自己概念と視点取得(5)思考(1) 昨日の続き。 今回からは、 Skinner, B. F. (1953). Science and human behavior.New York: Macmillan. の「第16章 THINKING」を取り上げることにしたい。 この章の小見出しは以下の通りとなっている。【日本語は、藤本訳】
その前に、「思考」の定義について簡単にふれておく。国語辞典では「思考」は
行動分析学では、思考は当然、行動として扱われる。但し、初めから「思考ありき」、あるいは「我思う、ゆえに我あり」というような立場はとらない。 上掲の見出しにもあるように「思考」には「意思決定(decision making)」が含まれているが、必ずしも「意思」あるいは「意志」を前提としているわけではない。少なくとも説明概念として「意思」が用いられることはない。 問題解決についても同様である。先日、人工知能「アルファ碁(AlphaGo)」がイ・セドル九段に4勝1敗で勝ち越したことが話題となったが、人工知能が最適解を導く過程では意志という働きは組み込まれていない。ちなみに、コンピュータがどんなに強くなっても、囲碁盤をひっくり返してゲームをリセットすることはできないなどと言われることがあるが、これは、コンピュータに「囲碁盤をひっくり返す」という行動レパートリーが組み込まれていないためであって、これまた意志の有無とは関係ない。 思考は言語行動と密接に関連しているが、言語がなければ思考ができないというわけでもない。言語を使わない動物でもある程度の「意思決定」や「問題解決」はできる。但し、複雑な考えをまとめたり、他者にその内容を伝える手段としては言語は欠かすことはできない。言語を統制することは思考内容の制限にもつながる可能性がある【こちら参照】。 言語行動が思考にどう関わるのかは、言語行動をどう定義するのかによっても変わってくる。こちらで引用したように、関係フレーム理論では、言語行動は、 ある出来事が関係フレームに関与するがゆえに何らかの効果を持つ場合には、それは言語刺激(「シンボル」)と呼ばれる。...我々が言語的という用語を使うとき、それは必ずしも言葉を意味しているわけではないし、また、認知という用語を使うときも必ずしも言葉という形態をとって生じる思考を意味するわけではない。むしろ我々が「言語的」または「認知的」と言った場合、それは「派生的関係性を生み出すようなトレーニングを経た」ということを意味する。【74頁】というように再定義されているが、この定義に従う限りは、言語行動は思考活動の基盤をなしていると言うこともできる。 次回に続く。 |