じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 イヌタデの群生。この時期紅葉に目を奪われがちであるが、足元の草花にも趣がある。
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2016年11月13日(日)



【思ったこと】
161113(日)関係反応についての講義メモ(8)実験による検証方法、あるいは類似した日常場面(6)「同一性」、「同じモノを選ぶ」、「どちらが多い」(2)

 昨日に続いて、「同一性」、「同じモノを選ぶ」、「どちらが多い」の話題。

 このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、そもそも2つの事物が全く同じということはありえない。仮に、形も構成物質が全く同一であったとしても、同一の空間を占めることはできない。同じ年に発行された新品の硬貨が2枚あったとしても、それが並べて置かれていれば「左側の硬貨、右側の硬貨」という違いがあるし、重ねて置かれていれば「上の硬貨、下の硬貨」として区別される。

 最も空間を移動する物体は普通同一であると見なされる。これは適応上、同じと見なしたほうが都合が良いからである。通常、移動しても性質は変わらないのでその物体に対する反応も変える必要がないためである。我々の知覚のメカニズムも、これに合わせて調整されている。電光板で動いているように見える文字はもとより、液晶画面で同一の物体が動いているように見えるのもすべて錯覚であって、じっさいは、個々の画素が点滅しているだけである。

 動く物体を同一であると見なすことは、獲物を捕まえる行動と密接に関連している。肉食動物が獲物を追う場合、草食動物の群れの中の1頭に狙いを定めると、群れの他の個体は無視してその1頭だけを追い続けることがある。

 人間の赤ちゃんは、母親の顔を認識したり、同一物体を目で追うといった行動がかなり早い時期から見られるという。おもちゃのレールの上を動いている蒸気汽車がトンネルの中に入って、出てきた時に新幹線に「変身」していたとする。この「変身」に驚くかどうかは、同じモノが動いていると見なしているかどうかの確認に使えそうである。もっとも、アニメやCGなどでたびたび「変身」画面を見ている子どもは、そういう変化を当たり前のものとして捉えてしまうかもしれない。少なくとも、目の前の実物ではなく映像として「変身」が起こった場合は、不思議な現象だとは思わないかもしれない。

 「同じモノ」を選ぶためには、本来は何をもって同じと見なすのかという基準が必要である。例えば、

 

が同じかどうかは、「横にずらしただけでピッタリ重なるか」、「上下を反転させればピッタリ重なるか」、といういずれの基準を採用するのかによって変わってくる。

 

の場合も、「横にずらしただけでピッタリ重なるか」、「縮小・拡大(もしくは遠近)によってピッタリ重なるか」といういずれの基準を採用するのかによって変わってくるだろう。

 次回に続く。