じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
12月12日の岡山は最低気温が0.7℃まで下がり、岡大構内の芝地などで初霜が観測された。我が家でも夏中ベランダに出していた大半の観葉植物を室内に取り込んだ。 |
【思ったこと】 161212(月)関係反応についての講義メモ(28)長谷川の考え(2) 昨日の続き。
この連載でしばしば例に挙げている「赤い色」、「青い色」というのは、本来は、さまざまな波長の光の中のから、一定範囲の波長の部分を恣意的に切り取って名づけた刺激にすぎない。人間においては、同じ波長の色は同じように見えると思われがちであるが、色の違いが見えにくい人もいる。また、特定の色がもたらす印象や安らぎ効果についても個体差がある。さらに言えば、色覚というのは網膜レベルの受容器やその後の伝達チャネル、脳の色覚処理システムによって決まってくるものであり、色が見えない動物もいる。 であるからして、関係反応の定義の前提となる「単一の刺激」や「複数の刺激」については、提示者が手続的定義(操作的)に基づいて提示する刺激(もしくは自然環境がある物理条件のもとで発する刺激)と、刺激を受容する側の感覚器官、知覚システム上の制約の両方の摺り合わせの結果として同定されると考えるべきである。 この摺り合わせが失敗すると、最悪の場合は何も弁別されず、当然、「複数の刺激間の相対的な特徴に対応して生じる反応」も起こりえなくなる。 いっぽう、摺り合わせがある程度成功した場合は、関係反応は生じる可能性があるが、提示された複数刺激の特徴のすべてが利用されているかどうかは分からない。例えば、昨日取り上げた漢字の画数比較の例では、「岡」と「大」が並べて提示された時には「岡」、「岡」と「鯨」が並べて提示された時には「鯨」を選べば正解になるが、これは必ずしも画数の多い漢字を選ぶという関係反応とは限らない。もしかすると、単に「黒っぽく見える」模様や、「細かく分割されている」模様といった特徴に反応しているのかもしれない。【例えば、勘亭流で書かれた「大」と、明朝体で書かれた「岡」を比較させた時に「大」を選んだとすれば、画数ではなく、黒っぽく見える模様に反応していたという可能性が高い。】 次回に続く。 |