【思ったこと】170313(月)オドノヒュー&ファーガソン『スキナーの心理学』(25)第4章 徹底的行動主義(7)
3月12日の続き。
第4章では続いて、「知るということ」についてのスキナーの考えを紹介している。なお、翻訳書の見出しは「知るとは?」となっているが、原書は「WHAT IS KNOWING?―SKINNER'S INDIGENOUS, PSYCHOLOGICAL EPISTEMOLOGY(知る行為とは何か?―スキナーの固有の心理学的認識論」
その分量は約6頁にも及んでおり、次節の「スキナーは論理実証主義者ではない」という主張につながっている。
要点は以下の通り【長谷川による要約・改変】
- スキナーは、知識を研究対象として自然現象の一つ(文字どおり自然の一部として)と見なし、他の自然現象と同じやり方で究明すべきだと考えた。
- 規範的説明では、実証(正当性、信頼度、妥当性)できない価値概念を含んでしまう。スキナーは知識に関して、規範的説明ではなく、自然科学的な、因果関係的な、実証的な説明を導き出そうと試みた。
- スキナーは、学習の説明は知識の説明に変換できると考えた。学習の研究は本質において、知識の蓄積の研究に一致すると考えた。生活体が学習するということは、生活体が知識を獲得するということである。知識は適者生存の随伴性と強化の随伴性を通して形成され、有効な行動となる。知識はある種の行動であり、言語共同体によって条件づけられる言語行動である。
- 「Science is a corpus of rules for effective action.科学は行為の有効性を高める法則性の蓄積である」【Skinner, B. F. (1974). About behaviorism. New York: Knopf.p.235.】。
- For Skinner, there is never any metalevel or "first philosophy" from which his system could be evaluated by normatibe, philosophical concerns. スキナーにとってはメタ哲学、第一哲学は意味がなく、学問は規範的、哲学的関心から評価すべきものである。
このうち4.は「プラグマティズムに基づく真理基準」という立場を表明したものと言える。5.は、訳に不備があるように思われる。「規範的、哲学的観点から自分の学問体系を評価してくれるようなメタ哲学、あるいは「第一哲学」の存在は、スキナーは一切認めていない。」というように意訳すべきであろう。
次回に続く。
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