じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 文学部西(駐車場北側)の八重咲きの花桃。文学部西出入口脇の花桃と合わせて、6本が花を咲かせている。右側手前が親の木で、他の5本はその種から生えた子株。

2017年4月8日(土)



【思ったこと】170408(土)2017年度、早くも一週間過ぎる

 2017年度は、定年退職前の最後の年度となるが、あっという間に一週間が過ぎてしまった。もっとも今年は曜日の巡り合わせで、4月7日が実質的に初日(新入生オリエンテーション&在学生ガイダンス)、4月10日から授業開始という遅いスタートとなったため、4月1日から6日までは、退職後の生活スタイルとそれほど変わらない日々を送ることになった。

 2月下旬頃から各種書類やフロッピーディスク(←今やその存在すら知らない世代が増えていると思うが)などをシュレッダーにかけて処分していたが、まだまだ50箱分くらいの分量が残っており、少しずつ作業を進めていく必要がある。残り1年のうちに閲覧する可能性の少ない研究室貸出図書の返却も進めていかなければならない。こういう作業は1日の分量を決めて、日々達成していくことが必要であり、時間のある時にやろうなどと思っていると次々と先延ばしされ、いつまで経ってもはかどらないことになる。

 論文執筆のほうは、4月7日締め切りの原稿を提出したばかりであり、他に事典項目の執筆2項目分について近日中に最終稿をまとめる予定となっている。次の執筆予定は10月上旬締め切りの紀要があり、紀要投稿としてはおそらくこれが最後になるかと思う(←その次の締め切りは2018年4月上旬となるため、投稿しても校正作業ができなくなるため)。

 定年退職後のライフスタイルについては、別段、学術的根拠があるわけではないが、まず、離脱型か活動型かという分岐があり、活動型はさらに社会貢献型と個人型に分かれるのではないかと考えている。

 離脱型というのは、社会から少しずつ撤退し、隠遁生活をめざすタイプである。私も表向きはこの方向を目指すと公言しているが、本音としては、時間的な束縛を受けたくない、他者との交流に時間をとられたくないという気持ちがある。要するに、家族関係は別として、それ以外の他者関係とは一定の距離を置くということである。

 活動型のうち、社会貢献型に分岐する人は、死の直前まで生涯現役を貫いたり、自らの病苦を顧みずに周囲に尽くそうとするだろう。これは立派な行いであり、社会から称賛され、名を残すことになるが、率直に言って私は、そういうタイプではない。

 けっきょく私が目ざすライフスタイルは「活動型+個人型」となる。この「個人型」というのは、悪く言えば「徹底的個人主義」ということになるが、要するに、個人の価値を追求していく活動的人生ということになる。具体的には、旅行(海外の秘境体験、国内のあまり知られていない絶景探し、鉄道・街道沿いウォーキング)、園芸(ベランダ園芸や貸し農園利用)、最新の技術を利用した仮想現実体験などなど。どれもこれも人畜無害なことばかりである。

 もっとも、この社会で何かをするということは、多かれ少なかれ、他者に利益を与えたり、その一方で他者から収奪したりすることであって、生きている限りはその循環の仕組みから逃れることはできない。例えば、世界漫遊の旅に出ることは全くの個人主義であるかのように見えるが、そのことによって、旅行会社、航空業界、現地のガイドさん、運転手さん、ホテル、観光産業には幾ばくかの益をもたらす。どんなに利己的で強欲な者であっても、亡くなった時に盛大な葬儀が行われれば、葬儀屋やお寺を益することになる。いっぽう、社会福祉のために多額の寄付をした大富豪は称賛されるが、もとはといえば、その大富豪は、資本主義の仕組みを利用して多くの人を働かせて蓄財したり、マネーゲームで大もうけした結果として大富豪になれたのであって、本質的に社会貢献しているというわけでもあるまい。少々屁理屈かもしれないが、別段、世のため人のために尽くそうなどと壮語しなくても、この世界でまっとうに生きようとする限りは、それだけで結果として社会貢献になるとも言える。

 ということで、退職後は、健康である限りは「活動型個人主義」を目ざすことになるが、それを支えるだけの収入が確保できるのかどうかは、全く心許ない。受け取れる予定の大まかな年金額と退職金額は分かっているのだが、これだけでは日々ひっそりと節約人生を過ごすことしかできない。時間に束縛されずに価値を追求するというライフスタイルと、安定した収入確保のバランスをとることが課題となるであろう。