じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



07月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る


 農学部農場のヒマワリ畑。写真上の2枚は7月24日、いちばん下は6月24日撮影。2メートルを超えるような背の高い品種が栽培されている。


2017年7月26日(水)


【思ったこと】
170726(水)ボーム『行動主義を理解する』(58)刺激性制御と知識(8)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 本書145頁以下では、「知識」の問題が扱われている。日常用語の「知識」は、それぞれの人が「内部」に保有している何らかの情報体系のようなものをさすが、行動主義の観点から言えば、そのような心理主義に代わる説明が必要である。いっぱんに、知識は、手続き的知識(procedural knowledge)と宣言的知識(declarative knowledge)に分けられ、その枠組みのもとで内的スキーマや意味について推測がなされるが、行動主義的観点から言えば、それらは外的な行動と環境に基づいた区別でなければならないと論じられている(147頁)。もう1つ重要な点は、自己知識(self-knowledge)という概念である。日常場面ではしばしば「知識を共有する」という表現が使われるが、「共有する」ためには時間をかけた双方向の情報交換が必要となる。通常、自己知識というのは、その人だけ持っているものであり、公的であれ私的であれ、それに関与できるのは当人だけであるとされてきた。これらは、自己と他者の違い、あるいは自己とは何かといった問題にも繋がる可能性がある。

 以上の問題について、148頁以降では、ライルの考えを取り入れた上で、手続き的知識と宣言的知識の枠組みで行動主義的な観点が語られている。

 まず、148頁では、知ることについて、「他者か自己か」という軸と、対象について知る軸によって、2×2=4通りのタイプがあると論じられている。

 他者の知識、例えば、「ある人が泳ぎ方を知っている」というのは、その人が上手に泳いでいるのを観察した(もしくは、第三者が観察した上で言語報告した)ことに基づくものである。このタイプでは、「Aさんは泳ぎ方を知っている」は「Aさんが上手に泳いでいる」と同じことになる。

 次に、自分は泳ぎ方を知っているというのも、自分自身が泳いだ経験に基づいて語られる。

 本書ではさらに、「フランス語を知っている」というラベルが、より詳細は、フランス語に関わる諸行為のカテゴリーにつけられていると論じられている。

 以上の視点は、「○○を知っている」という言語報告のしくみを説明しているという点では納得できる。しかし、経験的に分かるように、私たちの知識というのは、直接経験の寄せ集めだけではない。一度も経験していないような関係づけがどのように構築されるのか、そのさいどのような法則性があるのか、といった問題は別に検討する必要がある。関係フレーム理論の知見は、この点で大きな発展をもたらしていると言ってよさそうだ。

 次回に続く。