じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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昨日に続いて鳥取大学鳥取キャンパス内の風景。写真上の噴水池はかつて岡大の一般教育棟構内にあったヴィーナス像を思い起こさせる。岡大と異なりちゃんと噴水が出ているところがスゴイ。写真下は広場。左奥には時計塔が見える。時計塔は、旧帝大以外では設置予算が認められなかったと聞いているが、どのようにして造られたのだろうか。(岡大の場合は、給水塔を造るという名目で建設し、できあがったら時計がついていたと聞いている。) |
【思ったこと】 171129(水)理論心理学会「生涯発達理論の構築に向けて」(2)『論語』に依拠した思春期以降の発達課題の設定(1) 昨日に続いて、日本理論心理学会第63回大会のシンポジウム ●生涯発達理論の構築に向けて―“オルタナティブ”におけるアイデンティティを中心に― の感想。 1番目はE先生による、 ●『論語』に見る人生80年時代の発達課題―『論語』に依拠した思春期以降の発達課題の設定― という話題提供であった。ウィキペディアによるとE先生は1942年12月のお生まれでまもなく75歳になられる。若年の研究者が語る高齢者論と異なり、みずから高齢者の発達課題を実践しておられるという点で迫力があった。 あくまで私の推察であるが、「エリクソンやハヴィガーストに代表されるような「発達課題」を前提とする考え方」に対して、東洋的な別の見方を提供するという点でシンポの趣旨に関連しているように思われた。 タイトルの通り、この話題提供では孔子の『論語』に依拠した思春期以降の発達課題が提唱された。但し孔子の時代に比べると平均寿命が大幅に伸びているため、 子曰く、吾十五にして学に志す 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十 にして天命を知る 六十にして耳従う 七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずという年代設定の人生後半部分については10歳ほど嵩上げした設定となっていた。 リンク先に記されているように、発達課題は
もっとも、シンポ終了時にフロアからも指摘されていたように、今回提唱されたような発達課題は、身体的に健康で、知的な生活を送ってきた人たちでないとなかなか達成できそうにもない。東洋的という点では新たな知見となるが、“「規範的」とされたライフイベントの連続体としての生涯発達観を暗黙裏に再生産しようとしている可能性”は払拭されていないのではないかという気もした。 次回に続く。 |