じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 180103(水)関係、対応づけ、文脈をめぐる議論(7) 対応づけと関係づけ(1) 昨日も述べたように、今年の年末年始は、長谷川版・行動分析学入門の9章「関係フレーム理論」を執筆し、ほぼ完成させることができた。研究室に置いてある引用文献などを参照して引用の誤りがないかどうかをチェックした上で、来週の月曜日あたりには公開する予定である。 その中で特に工夫したのは、「関係づけ」の代わりに「対応づけ」という用語を新たに導入したことである。入門書の中で、このようなオリジナルの呼称を用いることについては異論や批判もあるかと思うが、熟慮した結果、やはり、「対応づけ」としておいたほうが誤解を招かなくて済むのではないかという結論に至った。 敢えて「関係づけ」という呼称を避けたのは、「関係づけ」と言ってしまうと、「同じ」とか「大きい」といった何らかの具体的な「関係の中身」が暗黙の前提にされてしまう恐れがあること、また、相互的内包、複合的内包(複合的相互的内包)、刺激機能の変換という特性をもつ「関係フレームづけ」と混同してしまう恐れがあるのではないかと考えたためである。(もっとも、もともと「関係づける」という意味は、単に、「つながりをもたせる」というだけで、関係の中身は前提としていないので、「関係づける」の正確な語義を説明した上で「関係づけ」を使うのであれば問題ないかもしれない。) 「対応づける」の定義は、『Relational frame theory: A post-Skinnerian account of human language and cognition.』(Hayes, Barnes-Holmes, & Roche, 2001)の第2章(Hayes, Fox, Gifford, Wilson, Barnes-Holmes & Healy, 2001)における「関係づける」の定義と全く同一である。 「関係づける(relating)」とは、ある事象に対して別の事象の観点から反応することである。("Relating" means to respond to one event in terms of another. )すなわち、上掲の「ある事象に対して別の事象の観点から反応する」は「ある事象に対して、別の事象を対応づける」という意味となる。 次回に続く。 |