じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月24日の朝、半田山の中腹に白い霧の帯が見えた。朝日が当たるにつれて急速に消えた。半田山の「ホワイトバンド」と名づけて、イエローバンドと合わせて岡大七不思議に加えたいところだ。


2018年1月23日(火)


【思ったこと】
180123(火)「対応づけフレーム理論」(6)

 この連載では大小比較の話題を取り上げてきた。その趣旨は、
  • 「関係づけ」は「対応づけ」に置き換えて考えたほうが分かりやすい。
  • 「大小」、「長短」、「前後」(位置や時間)、「左右」といったタクトは、
    • (A→B)→[○vs□] 【○】
    • (A→C)→[○vs□] 【□】
    • (B→A)→[○vs□] 【□】
    • (C→A)→[○vs□] 【○】
    という4通りの訓練を繰り返し受けることで形成される。
  • これらの比較は、順序尺度上の2点の位置関係に対応している。
  • これらの比較は、非恣意的な関係(大小・長短・前後・左右など)に関する多数回の訓練を通じて般化する。この般化は、「同じ」「似ている」などの等位関係と異なり、対称性が成立しない(正負の符号を反転させた対称性となる)。
  • 人間の場合は、さらに恣意的な関係についても般化が起こるようになる。
 以上、対応づけによる大小比較について述べてきたが、大小比較のすべてが対応づけを基礎としているのかどうかについてはさらに検討する必要がある。

 1つは、「AはBより、とても大きい」とか「BはCより、ほんのちょっとだけ大きい」というように、差の違いを考慮した比較をする場合である。これは要するに、順序尺度ではなく、間隔尺度上の2点を比較するようなものであり、「距離」の概念が必要となる。

 もう1つは、順序尺度であれ間隔尺度であれ、いくつかの点を直線上に配置したマップとして記憶し、マップに対応づけることで比較する方略である。認知心理学的アプローチであれば、むしろこのように考えたほうが自然であるかもしれない。しかし、行動分析学的アプローチは、安易に構成概念を多用せず、行動レベルで記述することに徹しなければならない。おそらく、紙の上に直線を引いてその上にピンを立てるというような行動が、言語行動化されることで私的事象化すると考えていくことになろうかとは思う。「何らかの配置を頭の中に描く」ということは、それを構成概念として記述するかどうかという議論は別にして、検討対象とすべき行動であることは否定できない。例えばプロの将棋棋士は、目隠しをしたままでも対局できる。(将棋もそうだが、2次元以上の配置は、単純な対応づけだけでは比較困難となる。)

次回に続く。