じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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西の空に輝く金星(左下)と水星(右上)。水星はこのあと3月16日に東方最大離角となり、3月18日には再び金星の近くを通過する。 |
【思ったこと】 180306(火)徹底的行動主義をめぐるBaumとMooreの論争(7) 3月3日の続き。 Baumによれば、「言語報告」と称するものは行動の1つにすぎず、説明要因ではなくあくまで説明されるべき対象である。「私はいま恋愛に心を奪われている(I am in love.)」という言明は、体内にある「愛」という「モノ」についての報告ではない。「私はいま痛みを感じている(I am in pain.)という言明もまた、体内の「痛み」というモノについての報告ではない。体内に何らかの「モノ」を想定するというような発想は、仮説構成体をつくることになり行動主義の大前提に反する。内的な発話(内言)や、内的なイメージのようなものは、測定不可能であり(測定できるならもはや私的とは言えない)、公的な行動との間の関係を科学的に把握することができない。 122頁には、このことに関して、以下のような文芸的な記述があった。 Asserting that private sensory and speech events are "just like" public behavior cannot solve this problem; no matter how much you insist a sow's ear is a silk purse except for the hair, it remains a sow's ear. The problem is the privacy. ネットで検索すると、 You can't make a silk purse out of a sow's ear. ウリのつるにナスはならぬ. という諺に対応しているようだが、ここでこういう表現をされても戸惑ってしまう。 さて、私的事象が説明要因にはなり得なかったとしても、日常行動の解釈としてそれなりに有用ではないかという考えもある。しかしこれはfolk-psychologyであって科学ではない。徹底的行動主義が否定している二元論への後戻りになってしまう、というのがBaumの立場である。 次回に続く。 |