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文法経グラウンドから眺める新緑の半田山。今年は、桜やハナミズキのような花ばかりでなく、新緑の時期も早いように思う。
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【思ったこと】 180421(土)回想から前進への模索 定年退職から3週間が過ぎた。10日間の旅行で中断していた後片付け作業を再開しているが、なかなか進まない。研究室から搬出した段ボール箱の中身の整理はGW前に完了する見込みであるが、図書、文書類、写真などを完璧に整理するにはまだ数ヶ月、ひょっとすると数年かかる可能性がある。 現職時代は仕事に追われて乱雑にため込むばかりであったので、この機会に過去を振り返るのも悪くないとは思うが、こうした作業ばかりしていると回想の日々になってしまって、新たに本を読んだり何かを書いたりといった時間がとれず、ちっとも前に進むことができない。GWには、これから先、どういうテーマにかかわっていくのか、方向づけをする必要がありそうだ。 定年退職とともにみずから「隠居人」を名乗った私ではあるが、『新明解』に記されているように「隠居」というのは ●仕事や生計の責任者であることをやめ、好きな事をして暮らすこと(人)。 という意味であって、何もせずにのんびり過ごすことでは必ずしもない。むしろ、現役時代には時間的制約からできなかったことに集中的に取り組むという意味が含まれているとも言える。 私の場合、「旅行」は好きなことの1つではあるが、4月5日の日記に述べたように、いくら旅行好きであると言っても、毎月旅行に出かけていては身の置き所が無くなってしまう。日々放浪するような旅人人生は私には似合わない。非日常空間への旅行を楽しむためには、それに対比できる安定した日々の生活を確立する必要がある。 何かに取り組むというテーマの中には、心理学の専門領域も含まれているが、これまでと違って、締め切りつきの論文を書くために引用文献を読むという必要はなくなってきた。選んだテーマについて、トコトン納得できるまで読めばよいと思っているが、最先端の研究を常時把握するということはもはやできない。 そのいっぽう、心理学とは全く関係のない雑学的知識を学ぶ時間がとれるようになった。といっても、後片付けに専念しているといつまで経っても後回しにしてしまって、そのうち頭が回らなくなってしまう恐れも出てきた。けっきょく、回想的な整理というは完璧を目ざすものではない、片手間的にやるものだと受け止めて優先順位を下げておかないと、前に進むような生活に移行できないことが分かってきた。 |