じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



06月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 ウランバートルを囲む山に描かれたチンギス・ハーン。2007年8月撮影。

2018年6月24日(日)


【連載】

大モンゴル(2)蒼き狼 チンギス・ハーン(1)

 6月20日に続いて、1992年4月から8月にかけて毎月1回、計5回シリーズとして放送された、

NHK 大モンゴルの話題。

 第二集は、モンゴル建国の輝かしき英雄、チンギス・ハーンが取り上げられた。

 番組冒頭では、1991年夏・モンゴルの草原で盛大に行われた、チンギス・ハーンの記念碑除幕式の様子が伝えられた。ソビエト連邦の16番目の共和国と言われたほどソ連の影響下の強かった社会主義体制下では、チンギス・ハーンはロシアの大地を踏みにじった侵略者と見なされ口にすることさえはばかられていた。その後、ソ連の影響から解き放たれたモンゴル・ウルス(Монгол Улс)のもとでは、逆にに改革のシンボルになった。

 もっとも、西洋の一般的な歴史観としては、チンギス・ハーンは悪の権化のように位置づけられることが多いようだ。少し前に、録画済みDVDを整理していたところ、宇宙大作戦の「#75 未確認惑星の岩石人間(The Savage Curtain)」が見つかった。この回は、善悪の本質的な違いを理解しようとしている岩石人間が、「善人」と「悪人」を戦わせる実験をするという内容であった。「善人」の代表としては、カーク船長、スポック、リンカーン、スラク(バルカン星人の英雄)が勝手に選ばれたが、そのいっぽう、悪名の高い4人として選ばれたのが、チンギス・ハーン、21世紀の地球破壊者・グリーン大佐、生体実験を行った悪名高い科学者ゾーラ、クリンゴン帝国の独裁制の基礎を固めたカーレスであった。「悪人」4人のうち、グリーン大佐、ゾーラ、カーレスはいずれも架空の人物であり、チンギス・ハーンこそが歴史上実在した唯一の「悪人」だったのである。

 少し前に、「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」という作品が「新聞広告クリエーティブコンテスト」の最優秀賞に選ばれて話題になったことがあるが、童謡の歌詞は、まさにチンギス・ハーンを称える歌といっても良さそうだ。
そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて(せめて) 攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島(おにがしま)

おもしろい おもしろい
のこらず鬼を 攻め(せめ)ふせて
分捕物(ぶんどりもの)を えんやらや

万々歳(ばんばんざい) 万々歳
お伴(おとも)の犬や猿雉子(さるきじ)は
勇んで(いさんで)車(くるま)を えんやらや
 要するにチンギス・ハーンも見方によっては大虐殺者にもなれば大英雄にもなる。西欧人にとっての英雄コロンブスも、先住民から見れば大虐殺者であり侵略者であった。

 なお、チンギス・ハーンは、ウィキペディアでは一部の項目でチンギス・カンと表記されている。ウィキペディアのハーンの項目には、
 カン(Qan)はモンゴル、ケレイト、ナイマンなど部族の長が名乗る称号(君主号)であり、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンも、彼の在世当時はチンギス・カン(Qan)と称していた。しかし、チンギス・カンを継いでモンゴル帝国第2代君主となったオゴデイは、恐らくモンゴル帝国の最高君主が他のカンたちとは格の異なった存在であることを示すために、古のカガンを復活させたカアンという称号を採用し、のちにモンゴル帝国の最高君主が建てた元王朝もカアンの称号を受け継いだ。帝国西部に位置するテュルク系国家や西遼などの旧領では、最高指導者をカーンと呼ぶ慣習があったため、1220年代頃からカンとカーンの使い分けが貨幣発行などの事例が次第に増え、帝国東部でも1254年と1257年に印された少林寺蒙漢合壁聖旨碑のウイグル文字モンゴル語文/漢文が、それぞれカン/罕からカーン/合罕へ切り替わっている事から、正式に大モンゴル国の最高指導者の呼称をカアンと定めたのは1250年代と考えられている。

 これに対して、モンゴル帝国西部のチャガタイ・ウルス(チャガタイ・ハン国)、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)、フレグ・ウルス(イルハン朝)系の君主では依然としてカン号が使用された。やがてこうしたモンゴル帝国の諸王の「カン」号がペルシア語では「ハーン」と表記・発音されたため、アラビア文字使用圏ではハーンとハンという2通りの表記が生まれ、現代の書籍においてもモンゴル帝国のハーンと他地方のハン/ハーンの混同がみられることがある。
と記されており、どちらが正式であるのか、決め手が無いようにも思われた。この連載では、NHKの当時の番組で採用された「チンギス・ハーン」をそのまま用いることにしたい。

 次回に続く。