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6月18日の日記で、夕食後の散歩道沿いに古いブロック塀があると述べた。25日の夕刻は、いつもと異なる近隣の小学校の周辺を散歩してみたが、通学路沿いにも、ちょっとした地震ですぐに崩れそうなブロック塀が各所にあることが分かった。 |
【連載】 大モンゴル(3)蒼き狼 チンギス・ハーン(2) 昨日に続いて、チンギス・ハーンの話題。 番組によると、チンギス・ハーンが生まれ当時、中国は「金」の王朝があり、北方は、モンゴル族のほか、タイチウト族、タタル族、ケレイト族に分断されていた。 チンギス・ハーンの世界帝国建設に大きく貢献した参謀として、番組では「耶律阿海 (ヤリツ・アハイ)」に焦点があてられていた。ヤリツ・アハイは、もともとキタイ族の出身であったが、祖父の代に金王朝に滅ぼされ、金に仕えていた。金はチンギス・ハーン(当時のテムジン)を手なずけようとしてヤリツ・アハイを差し向けたが、テムジンに惚れ込んでしまい、家臣になってしまった。 ヤリツ・アハイの貢献によって、テムジンは草原一帯を支配し、チンギス・ハーンを名乗るようになった。もともと一部族の名前に過ぎなかった「モンゴル」はこの時から草原の諸部族を統率する国の名になった。 1214年4月、モンゴル軍団は金王朝を滅ぼし、人質となっていたヤリツ・アハイの家族を解放した。ヤリツ・アハイはその後もチンギス・ハーンの参謀をつとめ、1220年には中央アジアの大国、ホラズム王国のサマルカンドを陥落させた。チンギス・ハーンはヤリツ・アハイの功績を称え、この一帯の長官に任命したという。 以上は番組内容に基づくメモである。高校時代には世界史を習ったはずだが、モンゴル帝国の成立の過程やヤリツ・アハイの貢献については全く記憶にない。当時の世界史の内容は西洋史に偏っていたような気もするが確認できない。大学入試では、英数国理の4科目がそれぞれ200点満点であったのに対して、社会は100点だけだったのであまり勉強しなかったことと、最終的に日本史での受験を決めたこともあって、世界史の知識は記憶から消し去られてしまった可能性が高い。 次回に続く。 |