Copyright(C)長谷川芳典 |
生協食堂マスカットユニオン入口に設置された七夕飾り。短冊に願い事を書いて自由にくくりつけることができる。 もし私が書くとすれば「家族の健康」、「健康長寿」、「生活安定」といったところか。 |
【連載】 大モンゴル(5)世界征服への道(2) 昨日の続き。 シリーズ第三集の後半では、オゴデイによるカラコルム建設、その後の周辺地域への進出が取り上げられた。 その中で興味をひかれたのは、タタール人と、モスクワ台頭についての話題であった。 番組によると「タタール」とはもともとラテン語の「タルタロス(地獄)」に由来し、ロシア人から「地獄からの死者」として恐れられていたという。もっともウィキペディアでは タタールの語源は古テュルク語で、「他の人々」を意味したTatar(タタル)である。と記されており、はっきりしたことは分からない。 タタール人はモンゴル帝国支配の一翼を担い、カザン、アストラハン、クリミア半島に勢力をもっていたが、ロシアの勢力拡大にともない、逆に迫害されその地を追われることになった。番組では、スターリンの体制のもとでタタール語の教育が禁止されたこと、旧ソ連崩壊の後にロシアからの独立を求めて投票が行われたことなどが紹介されていた。 もう1つ興味深いのは、ロシアの語源ともなったルーシと呼ばれていたスラブ民族の土地への侵攻である。 少々脱線するが、この「ルーシ」は、旧ソ連国歌の1番にも登場していた。第二外国語でロシア語を学んでいた私としては、当時この歌詞を見た時に、旧ソ連を構成する中央アジア各国(カザフ共和国、キルギス共和国など)の人たちが「 Великая Русь(偉大なルーシ)」という部分をどう受け止めていたのかが気になるところであった。 Союз нерушимый республик свободных 当時ルーシには12の公国に分かれていたが、中でもウラジミールとキエフは拠点都市として繁栄していた。いっぽう、モスクワは小さな田舎町に過ぎなかったという。モスクワのイヴァン1世はハーンに賄賂を贈り、他のルーシ諸国から税金を集める特権を得た。モンゴル帝国はロシアに多大な被害を与えたが、こうしてみると、キエフの凋落とそれに替わるモスクワの台頭は、モンゴル帝国の庇護のもとモンゴルタタールのくびきのもとで発展したと言うことができるかもしれない。 旧ソ連崩壊後の時点でインタビューを受けたあるウクライナ人男性は「ロシア人の顔つきを見てくれ。彼らはモンゴルとの混血だ。スラブ人を自称しているがモンゴルと混ざり合っている。ロシア人はウクライナ人と全く違う民族だ」と語り、また当時のウクライナ初代大統領クラフチュクは、 Русъ была,есть и будет Киевской.(ルーシはかつてあったし、いまもあり、これからもある。しかしそれはキエフのルーシだ) と語っていた。こうしてみると、ロシアとウクライナの対立にも、かつてのモンゴル支配の影があることが見てとれる。なおクリミア問題はこのシリーズの第5集でも改めて取り上げられる。 次回に続く。 |