Copyright(C)長谷川芳典 |
文学部西側の空き地で、植えっぱなしの皇帝ダリアが一輪のみ開花した。過去記録によると、この株は2011年に別の場所に植えられており、2013年からこの場所で植えっぱなしになっているようだ。2株あったうちの1株は枯れてしまい、残りの株も花の数が減っている。 |
【小さな話題】 9歳の小学生名人の将来 11月18日(日)放送のNHK 「囲碁フォーカス」で、 「9歳の小学生名人誕生!」 という話題を取り上げていた。 番組によれば、小・中学生の囲碁日本一を決める「少年少女囲碁大会」で今年、小学3年生の川畑拓也くん(9歳)が優勝。小学校3年生以下での優勝は史上4人目。1998年に優勝した井山裕太以来20年ぶりの快挙[※]であるという。しかも囲碁を覚えてまだ2年しか経っていない。 [※]井山裕太氏は、1997年(8歳)の時に少年少女囲碁大会全国大会で優勝。山下敬吾氏と並び最年少学年記録となった。将来の夢は「いちおうプロ棋士になること」と語っており、今後のご活躍が期待される。 もっとも、老婆心ながら(←「老爺心ながら」と言うべきか)、プロ棋士をめざすことにあまりにも多くの期待が寄せられてしまうと、他の分野でもっと才能を発揮できる可能性を奪ってしまう恐れがあるのではないかと心配してしまう。 このWeb日記で以前、将棋の藤井聡太七段のご活躍についても言及させていただいたことがあるが、藤井さんの場合もおそらく将棋以外のさまざまな分野で活躍できる可能性がある。数学の未解決問題を解けるかもしれないし、医療の世界でノーベル賞級の貢献をされるかもしれない。 そう言えば、少し前の民放で、19年前、羽生善治さんが対局した天才少女が東京大学病院放射線科の医師をされていて、最先端のMRIの研究にも携わっているというような話題を取り上げていた。もし女流棋士を目ざしていたら今頃は里見香奈さんを上回る大活躍をされていたかもしれないが、研究者という選択も間違ってはいなかったと思う。 念のためお断りしておくが、私はここで、囲碁や将棋のプロ棋士と東大病院の医師のどちらが社会的貢献度が大きいのかを議論しているわけではない。他者に迷惑を及ぼさない限りは職業に貴賎はないし、進路選択の優先順位を社会的貢献の度合いだけで比較すべきではないと考えている。私が言いたいのは、少なくとも中学卒業の頃までは、できるだけ広範囲に自分の能力の可能性を試してみるべきだということだ。 本人が好きならそれでいいじゃないか、とか、本人の主体的選択に委ねるべきだ、という意見はその通りだが、もともと、その人が好きだと思っていることというのは、その人の生活空間の中で「たまたま強化されている」ことがらの制約を受けやすい。画家の子どもが絵が好きになり、作曲家の子どもが音楽が好きになるというのは、もちろん遺伝的に受けついだ才能もありかもしれないが、おおむね、画家の子どもは絵を描く行動が強化されやすく、作曲家の子どもは音楽を聴いたり演奏したりする行動が強化されやすいという環境的要因に制約されている。画家の子どもが作曲家の養子になれば音楽が好きになり、作曲家の子どもが画家の養子になれば絵が好きになるかもしれない。以前、こちらの論文でも書いたことがあるが、チョイスというのは、与えられた選択肢と、その人の強化履歴のもとで機械的に決まっていくようなものであり、「主体的な選択」なるものは本質的にはあり得ない。 もちろん、能力とか適性というのは可塑的である。くじ引きで進路選択をしても、与えられた機会の中で精一杯努力すれば、それなりに道は開けるものではある。 |