じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月14日の日記で、こども園の園庭一面に人工芝を取り付けている写真を掲載した。月曜に同じ場所を通ったところ、人工芝の上が水滴で白っぽくなっていた。2月14日〜15日のに合計23.0ミリの雨が降ったためかと思われる。最近の人工芝は透水性に優れていると聞いているが、雨量が多すぎたためだろうか。

2021年2月16日(火)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(53)杉山尚子先生の講演(18)杉山×武藤対談(3)「radical behaviorism」と「contingency」の由来

 昨日の続き。まず、昨日述べた中で、Skinnerが「radical behaviorism」に言及した、

Skinner, B. F. (1945). The operational analysis of psychological terms. Psychological Review, 52, 270-277, 291-294.【←誌上討論の形式になっているので、ページは2部に分かれていて、後半はリプライ部分となっているようだ】

であるが、該当の箇所は294ページのところにあり、誌上討論のリプライの形をとっている。
3) The distinction between public and private is by no means the same as that between physical and mental. That is why methodological behaviorism (which adopts the first) is very different from radical behaviorism (which lops off the latter term in the second). The result is that while the radical behaviorist may in some cases consider private events (inferentially, perhaps, but none the less meaningfully), the Boring-Stevens operationist has maneuvered himself into a position where he cannot. 【以下略】
もっとも、PDF文書の簡易検索でざっとチェックした限りでは、「radical behaviorism」と「radical behaviorist」が使われているのは、上掲の各1箇所のみであり、Skinner自らが積極的に「私は徹底的行動主義者である」と名乗っていたわけではないと言われれば、その通りかもしれない。なので、スキナーが自伝の中で、自分は名乗っていないと語っていても矛盾しないかもしれない。

 さて、今回の杉山×武藤対談の中でも杉山先生が指摘しておられたが、Skinnerは、私たちが考えているような論理的な人ではなく、論文や著書の無秩序さが目立つようになる【超越した秩序性はあるのかもしれないが】。また、Skinner自身は、新しいアイデアを次々と提唱したが、それをより精緻化し体系化していったのは、Skinnerの弟子たちや、後の研究者たちの貢献によるところが大きいと言われている。

 杉山先生の講演のほうで、スキナーが随伴性概念に気づいたのは1931年のある金曜日であり、自伝(Skinner, 1979, p.5)の中でその時の感動を語っているというお話があったが、ラグマイの回想には、これに関連した興味深い記述がある。【セザリオ・ボロンガン/佐藤方哉・共訳】
 「先生、先生は御自分のなさった心理学への最大の貢献は何だとお考えになりますか」私は、ある日の昼近く、ウイリアム・ジェームス・ホールにある先生のオフィスでこう尋ねた。B・F・スキナー教授は、一息つき遠くを見つめてから、考え深げにゆっくりと言った。「強化随伴性.…強化随伴性の概念です。この言葉をはじめて使ったのは何時だったか. . ・・60年代の初め…・いや多分もつと早かったろう.…」そして立ち上がり「科学と人間行動』に手をのばし調べようとした。  「1953年に研究報告書の一つでその概念をお使いになったのをおぼえています。たしか、その報告書はファイルにおもちのはずです。」と私は応じた。
 スキナーは、熟慮のすえに、科学者としての最大の貢献は強化随伴性であることに想いがいたったのだな、と私は考えたものである。この会話が交わされたのは、今はもう昔の1968年、ハーヴァードにおいてであった。
このやり取りを見る限り、スキナー御自身は、随伴性概念を初めて使った時期ははっきり記憶しておられず、またラグマイの記録が正確であるならば1953年が最初ということになる。「1931年の金曜日の出来事」というのは、contingencyという言葉そのものではなく、「反応→結果」により形成される新しいタイプの条件づけに気づいたということではないかと思うのだが、残念ながら私の手元にはスキナーの自伝が無いので確認できていない。

 杉山先生によれば、「behavior analysis」という言葉の由来についても、よく分からないところがあるようだ。なお「behavior analysis」の日本語訳については、一部の専門書のタイトルが「行動分析」としていることについて、佐藤方哉先生がある時「行動分析ではなく行動分析学とするべきだ」と指摘されたことがあったと記憶しているのだが、どういう経緯であったのかは忘れてしまった。
 私が学部生の頃は、このほか「行動理論」、「行動変容」、「行動教育」、「行動工学」といった言葉もよく使われていたが、最近はあまり耳にしない。特に、「行動工学」は、今では違う意味に使われることが多いようだ。また、かつて『行動工学とはなにか―スキナー心理学入門』という翻訳書が出たことがあったが、失礼ながら、誤訳だらけで入門書としては不適であった。

 不定期ながら次回に続く。