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昨日の日記で岡大周辺の飲食店が休業または時短営業となっている事例を記したが、近隣の公民館や岡大図書館も長期休館となり、不便を強いられるようになった。但し、幸いなことに、公民館で行っている発泡トレイ、空き瓶、空き缶、蛍光管、スプレーなどの回収は継続している。 |
【連載】武田鉄矢の昭和は輝いていた『胸ときめいた雑誌“科学”と“学習”』その2 昨日に続いて、4月30日に放送された表記の番組についての感想と考察。 昨日述べたように、1946年、学習研究社は、創業3カ月で早くも『學習』を創刊した。これに対して、『科学』の前身となった『小学生のたのしい科学 上級用』は昭和32年(1957年)に創刊。これは1953年に制定された「理科教育振興法」を背景とした理科教育重視の流れに基づくものであったが、思うように売れず創刊号のみで休刊。その後の『かがくの教室(上級編は、『科学の教室』)』も売れ行きが低迷した。 そこで白羽の矢が立ったのが中川浩・新編集局長であり、ふろくに実験・観察器具を付けることを提案した。こうして昭和38年(1963年)に学年別の『科学』が創刊され大人気になったという。【こちらに詳細な資料あり】 ここまでのところで私自身の関わりを思い出してみるが、1963年と言えば私はすでに小学5年になっていたはず。小学5年〜6年の時に『科学』を読んでいた記憶があるので、私は創刊当初からの購読者であったことが判明した。しかし、小1の時からの愛読者ではなかったため、付録で遊んだ器具も最大で24種類(小5と小6の24ヶ月分)に過ぎず、あまり印象に残っているものがない。こちらのリストも残念ながら1965年以降のものに限られており、1963年度と1964年度にどういう付録がついていたのかは確認できなかった。 学研の付録だったか、別の付録だったかは思い出せないが、確か、ゲルマニウムラジオ、幻灯器、鉱石セットなどで遊んだ記憶は残っている。あと、あやふやだが、「グザイ君」が出てくる読み物が面白かった。 いっぽう、『学習』のほうも昭和41年(1966年)から付録がついたというが、1966年には私は中学生になっているため、一度も遊んだことはなかった。 ちなみに、『学習』はそもそも購読していたかどうかもあやふやであり、少なくとも中学受験には役立たなかった。算数の受験参考書としては『応用自在』を使っていたが、これはかなり難解であった。確か、学研の参考書だったと記憶しているが、ネットで検索した限りでは、私が使っていた参考書と同一の流れをくむものかどうかは確認できなかった。 次回に続く。 |