じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 「接写で楽しむ雑草の花」。今回は三尺バーベナ(ヤナギハナガサ、Verbena bonariensis。園芸植物として導入されたが、岡大構内では雑草化している。接写すると、確かに「花笠」のように見える。

2021年5月28日(金)



【連載】ダーウィンが来た!「鳥の言葉が分かる!聞いてびっくり鳥語講座」その3 「他の鳥を騙す?」「異種間のコミュニケーション」

 昨日に続いて、5月23日に放送された表記の番組についての感想・考察。

 番組の終わりのあたりでは、「聞いてびっくり!鳥語講座応用編」と題して、

●コガラが「タカが来た」という嘘の鳴き声を発してライバルたちを騙し、餌台にありつく

という興味深い行動が紹介された。
 撮影対象となった餌台には、4種類の鳥が集まっていたが、体の大きさなどから、ゴジュウカラ>ヤマガラ>シジュウカラ>コガラというように優劣があり、コガラはなかなか餌にありつけない。そこでコガラは、「タカが来た」を意味する「ヒヒヒヒ」を発する。他の鳥たちが逃げ出した隙に餌をありつくという次第。但し、コガラが「ヒヒヒヒ」を発しても、餌台を離れない鳥もいるという。

 もう1つ、北海道・帯広では、シジュウカラの「ヒーヒーヒー(タカが来た)」という鳴き声を聞いて、エゾリスが逃げ出すという事例が紹介された。鳥たちはエゾリスよりも視力が良いため、いち早く天敵の襲来を知らせてくれる。このことから、エゾリスは鳥たちの言葉を理解している、と説明された。

 以上について鈴木俊貴先生は、
動物は無意識的に鳴き声を出しているだけだ、騒いでいるだけだくらいに思われていたけれど、詳細に観察していくと鳴き声を使って集まれって協力を促したり、他の鳥をだますためにウソをつくことまである。それを、分類を超えていろんな動物が理解して、生きる上で役立てている。彼らにはひょっとしたら人間と同じような意図や意識があって、豊かな思考の中で言葉を発しているのではないかと思います。
というように解釈しておられた。

 ここからは私の感想・考察になるが、まず、科学技術の進歩に伴い、鳥の鳴き声がより精密かつ客観的に分析できるようになり、さまざま鳴き声の意味(機能)が解明されつつあることはまことに興味深いとは思う。但し、5月26日にも指摘したように、今回紹介された事例であれば、行動分析学のオペラント強化の理論で充分に説明可能であって、わざわざ言語とか意図・意識といった概念を持ち込む必要はない。もちろん、『ダーウィンが来た!』は、子どもたちを含む一般視聴者向けの番組であり、これまでにも種々の擬人的な説明が行われてきており【2009年4月30日や、2019年8月24日の日記参照】、今回の「鳥語」だけで擬人化が誇張されているわけではない点をお断りしておく。

 でもって、上掲のコガラとエゾリスの事例であるが、まずコガラが餌台の近くで「ヒヒヒヒ」と鳴くのは、単に、
  • 直前事象:餌無し【他の鳥に占有されていて餌にありつけない】
  • 行動:ヒヒヒヒと鳴く
  • 後続事象:餌有り
という単純な好子出現の随伴性で、ヒヒヒヒが強化されているからに過ぎないように思われる。コガラには、別段、他の鳥を騙すという「目的」や「意図」があるわけではない。単に、たまたま「ヒヒヒヒ」と鳴いた時に、他の鳥が居なくなって餌にありつけるという結果が生じたから、その鳴き声が強化されたというだけである。なお、「ヒヒヒヒ」が強化されるためには、その行動が「タカが来た」という誘発刺激によって生じるレスポンデント行動ではなく、タカが来ない時にも自発され、かつ行動の後続事象によって強化されるようなオペラント行動であることが必須である。
 このほか、コガラがヒヒヒヒと鳴いても「騙されない」(餌台を離れない)鳥がいるという事例も紹介されていたが、これまた、単に、その鳥にとって、コガラのヒヒヒヒが、餌台から逃げる行動の弁別刺激として機能しなくなったというだけのことであって、別段、その鳥がコガラの嘘を見抜いてそうしたというわけではない。

 エゾリスが、鳥語の「タカが来た」を「理解して」、早めに避難をしているという事例も、単に、鳥の鳴き声が避難行動の弁別刺激として機能しているというだけであって、別段、「理解」とか「豊かな思考」といたものは説明概念としては全く不要であるように思える。ウォーキング中に昆虫を接写することがあるが、ある種の昆虫は私の足音にとても敏感であり、すぐに逃げられてしまうことが多い。この場合の「足音→逃げる」ということと、「鳥の鳴き声→逃げる」は全く同じ仕組であるが[]、前者では別段、「足音は人間が近づいているという意味である」ことを理解していている必要は全くない。後者の場合も、鳥の鳴き声が弁別刺激として機能したというだけのことで、それ以上の意味はないように思う。
]厳密にいうと、昆虫が逃げるのは生得的な反射、エゾリスが逃げるのは回避のオペラント行動の条件づけ。

 2019年8月24日の日記で、今泉先生の言葉:

人間の物差しで愛情とか母性とか決めちゃわないで、動物目線で探究していく。そういうものを追い続けることがロマン

を引用させていただいたが、「鳥語」をめぐる研究においても擬人化は禁物。一般視聴者向けの番組であっても、真のロマンを追求してもらいたいものだ。