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【小さな話題】1964年には何があったのか?(2)ゴミ事情、売血 昨日に続いて、11月15日に再放送された、NHK「映像の世紀プレミアム第15集 東京 夢と幻想の1964年」【初回放送2020年1月3日】の感想。 番組の最初のほうでは、1964年1月10日に行われた一斉清掃活動の映像が流れていた。当時、東京では毎月10日が「首都美化デー」と定められており、婦人会などの呼びかけで2万人が参加したとのことであった。番組によれば当時の東京は世界でも指折りの汚れた町であり、1961年に撮影された、道の脇や川へのゴミ投棄、公園や公衆便所での吸い殻や容器のポイ捨てなどの映像が流れていた。ある清掃員は「いろんな物を捨てないようにということはたびたび注意してあったわけですが、これもう平気でやっとるわけですね。だいたい日本人というのは非常に物をポイポイ捨てる癖があると、これは日本人の一番悪い癖ですね」と語っていた。 当時のゴミ事情については記憶ははっきりしていないが、強風の日などには紙くずがコロコロと路上を転がっている光景は確かにあったと思う。 1964年だったかそれ以前だったかはっきり覚えていないのだが、私が子どもの頃の生ゴミは、最初は木製のゴミ箱、その後大型のポリバケツに入れて、定期的に収集されていたように思う。もっとも私の生家では、
番組の中程では、ライシャワー駐日大使がナイフで刺されるという事件が取り上げられていた。大使の怪我自体は命に別状があるほどでは無かったが、治療の際に輸血を受けたことで血清肝炎になった。当時の輸血は売血でまかなわれており、そのうち2割近くは肝炎ウイルスに汚染されていたという。売血の場所は「血液銀行」と呼ばれており、売血者は比重検査を受けたのち、1本200ccで550円、今の物価で3000円ほどの報酬を受け取った。血を売る人たちの多くは工事現場で働く日雇い労働者であり、オリンピックの関連工事はこうした人たちの力に頼っていた。 ウィキペディアによれば、 1964年以降売血は急速に減り、1968年には売血由来の輸血用血液の製造が終了した。民間血液銀行の預血制度は存続したため、預血制度が廃止され輸血用血液が完全に献血由来のものに切り替わったのは1974年のことである。と記されていた。 不定期ながら次回に続く。 |