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教育学部東棟南にシダレザクラの一種と思われる桜の若木があるが(品種は不明)、咲き始めの頃に比べて色が白っぽくなっていることに気づいた。色変わりする桜としては鬱金桜が有名だが、シダレザクラもある程度は変化するようである。 |
【連載】『まいにち養老先生、ときどき… 2022冬』その4「解剖と献体」 4月2日に続いて、表記の番組(NHK-BSP 2022年3月26日初回放送)のメモと感想。 放送の中程で、養老先生が京都を訪れるシーンがあった。1980年代、東大教授だった養老先生は学会や研究のため度々京都を訪れたことがあったという。今回の主な訪問先は、誓願寺、鴨川、京都国際マンガミュージアムの3箇所であった。 新京極のど真ん中にある誓願寺では、山脇東洋のお墓が紹介された。リンク先にも記されているように、山脇東洋は幕府の医官として人体解剖を日本で初めて行い、その記録を公表したことで知られている。墓参りのあと養老先生は、 街中にこういうのがあるのはいいですね。ときどきビルから降りてここに来て、人生しみじみ考えるんじゃないですか。いちばん諸行無常を感じるでしょう。やっぱりこれだけの人がなんだかんだ言って生きていたわけで、亡くなられて静かにしていますけど 今は。と語られた。さらに、御著書『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』(新潮社)の一節が養老先生ご自身によって読み上げられた。 解剖をやっているころは、大学で死体とばかり向き合っていたように思う。扱っている目の前のモノは、死体である。動き出して挨拶をしてきたことは、今までに一度もなかった。だが、単純にはモノとして扱えない。それなら、これはモノか人か。今の俺は人だけれど、死んだらこれになる。いったいこれは何だ? 抽象的なことを考えているヒマはない。なにしろ目の前に死体が具体的にある。五感で捉えられるものを総動員して、身体を考えるようになったのはそういうわけだ。【改行等一部改変】 ここからは私の感想・考察になるが、養老先生がお墓や死体に特別の思いをいだかれるのは、解剖学をご専門としておられたことと深く関係していることは間違いない。私自身は解剖に立ち会ったことはないし、死体に接したのも親族の葬式(火葬場を含む)に限られており、普段、お墓や死体について考えたことは無かった。 もっとも、私自身は根っからの無宗教であって、お墓や死体はモノ以外の何物でもないと考えている。但し、死体は生前の人と同じ形をしているため、さまざまな悲哀や恐怖の感情を誘発しやすい。できれば目にしたくない対象である。 このことでふと思ったが、岡大でも献体を受け入れているようである。私自身は、別段、医学の研究・教育に貢献したいという強い気持ちがあるわけではないが、自分の体が解剖に使われること自体には全く抵抗は感じておらず、いずれ登録をさせていただこうかと考えている。私の考えから言えば、「じぶん」というのはあくまで身体が機能している時の特殊な感覚のようなものであり、死体のどこを探しても「じぶん」は存在しない。なので、その死体が解剖の教材に使われても、瓶漬けの臓器標本になっても、骸骨標本になっても、あるいは、ライオンの餌になっても、畑の肥やしになっても、何ら自分とは関係がない。どうせ関係がないのなら、少しでも社会のお役にたったほうがいい、というプラグマティックな発想による。 なので、「献体をするのは社会貢献のためだ」という目的意識は全く無い。社会貢献というのはあくまで、生きている時の自分の行動として行われるものである。行動分析学の「死人テスト」の基準からみても、死んだ人でもできることは行動ではない。死体が社会貢献するのではない。有用なモノとして利用されるだけに過ぎない。 この考えをさらに進めると、そもそも死体は故人の所有物であるかどうかも疑わしくなってくる。社会通念として、死体をどのように処理するのかはある程度、故人の遺志が尊重されることになっているが、私の考えから言えば、人は死んだ瞬間に消滅するものであり、そのあとに残った死体は、布団や棺桶と何の違いもないタダのモノとなる。といってもそのまま放置すると腐敗するので、遺族の手を煩わせて火葬・納骨という形で処理される。できれば再利用したいところだが、私のような高齢者の場合、臓器移植として活用される可能性はきわめて低い。であるなら献体すれば、単なる火葬で二酸化炭素を増やすよりはいくらか有用であろうというような考えである。 ちなみに妻にこの話をしたところ、私が献体することについては大いに賛成であるという。但し妻自身は献体はイヤだという。理屈ではなく感情的にイヤということらしい。 次回に続く。 |