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半田山植物園で、スミレホコリタケと思われるキノコがまたまた出現した。8月下旬に続いて、今年2回目。写真右は2日後の変化。 |
【連載】太陽系の基本知識を更新する(15)小惑星・彗星(3) 昨日に続いて、NHK「コズミックフロント: ●「冒険者たちが語る 太陽系のヒミツ」 についての備忘録と感想。 放送では、小惑星エロスを探査したNEARシューメーカー、日本の、はやぶさのサンプルリターンに続いて、3番目と4番目では彗星探査の取組が取り上げられた。 3番目に紹介されたのは1986年に地球に接近したハレー彗星に再接近したジオットであった。ジオットは1985年に欧州宇宙機関(ESA)により打ち上げられた。小惑星と異なり彗星への接近は、高速の塵との衝突のリスクがある。じっさいジオットも最接近時にカメラが故障して送信を中断するなどのトラブルに見舞われたが、その後最接近時の撮影に成功し、核の形状や核から塵が噴出する様子を初めて捉えることができた。 ジオットについての放送内容は上記の程度であったが、ウィキペディアによれば、ジオットはその後、地球へスイングバイを行ったのち、1992年にはグリッグ・シェレルップ彗星に200kmまで接近してデータ採取を行ったが、ハレー彗星探査時にカメラが故障してしまったため、画像撮影はできなかった。なお、ジオットの公式サイトはこちらにある。 ちなみに、ハレー彗星が地球に接近した頃は私も観測を試みたが、日本からは条件が最悪で、肉眼では眺めることができなかった(3月下旬の夜明け前にそれらしき光を目撃したが、眠気が強すぎてそれ以上の確認はできなかった。5月に入ってから、望遠鏡で捉えることはできた)。 あと、ウィキペディアによれば、ハレー彗星接近時には、アメリカ、日本、ソ連、ESAの各国・機関が、共同で探査機によるハレー彗星の観測を行うこととなった(ハレー艦隊)。日本の探査機としては、さきがけと、すいせいの2機がある。 以上に記したジオットは、ハレー彗星の近くを通り過ぎただけであり、ほんの数分間しか観測できなかった。これに対して、4番目に紹介されたロゼッタは、彗星とランデブーして長期間にわたり観測、さらに着陸機を投下、最終的には彗星の核への着陸(実質的には衝突)に成功した。ロゼッタは2004年3月に、欧州宇宙機関によって打ち上げられ、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星を目ざした。なお、「ロゼッタ」という名称はロゼッタストーン、着陸機の「フィラエ」という名称は、ロゼッタ・ストーン解読の鍵となったフィラエ・オベリスクが発見されたナイル川の川中島のフィラエ島に由来するという。 ロゼッタはスイングバイを繰り返し太陽から遠く離れた空間に向かったため、太陽電池パネルだけでは発電量が不足した。そのため2年半にわたり、殆どの電源を落とし「冬眠」に入った。放送では「冬眠」から回復した時の感動的なシーンが伝えられていた。 打ち上げから10年以上経った2014年8月に目的の彗星に到達した。その後、着陸機「フィラエ」を投下し、いったんは軟着陸に成功したものの、実際にはフィラエは表面上を転がって太陽光の届かない谷間に落ち込んでしまった。そのため、いったんは画像を送信したものの、着陸の3日後にバッテリーを使い果たし、送信不能となった。 いっぽう、ロゼッタ本体のほうは、彗星が太陽に近づくにつれて激変する彗星表面の様子を細かく観察した。表面での地滑りや、ファスの噴出などを10数個の装置により継続的に観測した。彗星の核の中には酸素分子があること、アミノ酸の一種なども検出した。これらは太陽系誕生前から存在していたもので、太陽系以外の天体にも生命誕生の基となる物質があることを示唆した。 彗星が太陽から離れてった2016年9月に、打ち上げから12年半に及ぶ任務を完遂し、彗星表面への落下(衝突)によりミッションを終了した。衝突前には、谷間にハマっているフィラエも捉えることができた。 なお、ロゼッタの公式サイトはこちらにある。 次回に続く。 |