じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 「レギュラー番組への道 超むずかしい話」の冒頭で紹介された「宇宙のすべてを支配する数式」。1行目は「アインシュタイン・ヒルベルト作用」、下の2行は「素粒子の標準模型の作用」と呼ばれているという。↓の記事参照。

2022年10月26日(水)



【小さな話題】相対論と量子論から見た宇宙の始まりと終わり(2)

 昨日の続き。今回より、以下の2本の関連番組についての感想・考察を述べさせていただく。なお、放送内容の繋がりから、先に2.のほうから取り上げる。
  1. 2022年9月22日 NHKBSP 「コズミックフロント:相対論 vs. 量子論 事象の地平線と“異次元のダンス”」
  2. 2022年10月15日 NHK総合「レギュラー番組への道 超むずかしい話
 2.の放送は、ロザンナ宇治原さんが聞き手となり、素粒子物理学者の橋本幸士先生(京都大学)と、宇宙物理学の須藤靖先生(東京大学)が、それぞれミクロとマクロの立場からトークバトルを展開するという内容であった。なお、橋本先生は、1.のコズミックフロントの番組のメインの解説者にもなっておられる。

 放送ではまず橋本先生のほうから「宇宙のすべてを支配する数式」が紹介された【上掲の画像参照】。但し、須藤先生は1行目のみを研究対象としており、2行目と3行目は素粒子の研究者が付け加えたものであるようだ。
 もっとも私には、式の左辺のSが何を意味するか、あるいは「作用」というのはどういうことなのか、ちんぷんかんぷんで全く分からない。「作用」という概念も全く分からない。ということでとりあえずウィキペディアの該当項目を閲覧してみるが、リンク先に記されていた数式は少々形が違っていた。「作用」については、こちらの冒頭の段落に、
物理学における作用(さよう、英: action)は、物理系の動力学的な性質を示すもので、数学的には経路を引数にとる実数値の汎関数として表現される。一般には、異なる経路に対する作用は異なる値を持つ。古典力学においては、作用の停留点における経路が実現される。この法則を最小作用の原理と呼ぶ。
と解説されていたが、説明文の中にはさらに分からない用語がたくさんあってますます、ちんぷんかんぷんになった。ちなみに、上記の引用文をDeepLで英語に翻訳し、翻訳した英文を日本語に再翻訳すると、
物理学における作用とは、物理システムの力学的性質の一つであり、数学的には経路を引数とする実数値の関数として表現される。一般に、異なる経路上の作用は異なる値を持つ。古典力学では、経路は作用の停止点で実現される。この法則は最小作用の原理と呼ばれる。
となって、もとの説明文と殆ど同じ内容になる。要するに素人には説明文の中身がさっぱり分からないが、専門的な記述としては英語でも日本語でも殆どブレない内容であるようだ。

 もとの話題に戻るが、報道では続いて、宇宙の始まりについての宇治原さんの知識が採点された。宇治原さんは、
ビッグバンから始まって、そこからだんだん広がって、今も宇宙は広がり続けている。【ビッグバンの前の宇宙は?という問いに対しては】宇宙に今あるもの全部が1点に集まっていた。ビッグバンのような爆発があって広がっていって今も広がっている。
と解答された。これに対して橋本先生は10点満点中9点と採点。高得点とした理由の1つは宇宙が膨張しているという指摘が含まれていたことであり、これは「宇宙のすべてを支配する数式」の1行目の右端のΛ(ラムダ)がある値(宇宙定数)を持っていることで説明できるという。いっぽう、過去に遡ると宇宙は収縮しどんどん小さくなって最後は1点に集まる。つまり過去に遡っていくと最後は「宇宙の始まり」があり、そこでは物質の密度は無限大になると説明された。その始まりは138億年前であると考えられているという。

 ここまでのところでいったん私の感想・考察を述べさせてもらうが、私自身も各種科学番組などで得た知識から、宇宙の始まりについては宇治原さんとほぼ同じような考えを持っていた。もっとも、昨日も述べたように、宇宙の始まりが「物質の密度が無限大である1点」という主張では、その「1点」が存在する前はどうなっていたのか?という疑問が生じる。但しこれは、我々が日常生活で体験している素朴な因果論を前提にしたものであって、存在の始まりは「全く何も無い」ではなくて「無限大」ということは十分にありうることだ。
 例えば、我々は日常生活の体験からすべてのロープは端があると考えている。しかし、y=1/xのグラフではxがゼロに近づくと無限大になる。しかし左端が無限大であるからといってその曲線が存在しないことにはならない。同様に、素数は無限に存在するが、最大の数が見えないからといって素数が存在しないことにはならない。要するに、存在の始まりが「何も無い」と考えるのは日常体験から導かれた暗黙の前提であって、もしかすると存在の始まりが無限大、あるいはマイナス無限大ということもアリと考えても間違ってはいないように思われる。

 次回に続く。