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4月23日、半田山植物園内で見かけたトンボ。トンボ自体は先週から睡蓮池の近くで目撃していたが撮影できたのはこの日が今年初めてであった。シオカラトンボのメス(ムギワラトンボ)と思われる。 |
【連載】シリーズ宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる(1) 朝、テレビのスイッチを入れたところ、NHK-Eテレ『こころの時代』で、 ●シリーズ宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (1)「法華経」との出会い という放送をしていた。テレビで視聴できたのは後半部分のみであったが、そのあとNHKプラスのほうでもう一度最初から視聴することができた。 宮沢賢治については、
今回は、東京立正短期大学名誉教授で日蓮宗僧侶(東京都世田谷区妙揚寺住職)の北川前肇先生が全6回にわたって解説をしてくださるというシリーズものの第1回目であった。余談だがご住職をつとめておられる妙揚寺は、東京都世田谷区北烏山にある日蓮宗の寺院で「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つであるという。私は生まれ育ちが若林なので、烏山方面には自転車でサイクリングに出かけたことがあった。 放送の前半では、賢治の仏教の素養がどのように築かれていったが解説された。それによれば父親の政次郎は熱心な浄土真宗の熱心な門徒であり、仲間とともに毎年東京から高名な僧侶を招いて仏教講習会を開いていた。賢治も小学生の頃からこれに参加していた。また同居する叔母からは、親鸞の『正信偈』や蓮如『白骨の御文』を繰り返し聞かされ正確に暗唱できるほどであったという。 1909年、13歳の賢治は盛岡中学校に入学し寄宿生活を始めた。この頃は『歎異抄』を自分のすべての信仰であるとして、日々念仏を唱えていた。しかし中学卒業後、長期入院、父親から家業の質店を継ぐことを求められ意気消沈。これを案じた父は、盛岡高等農林学校への進学を許した。そんな時、偶然、島地大等編訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読む。弟の清六は、賢治ははその中の『如来寿量品』を読んだ時に感動して、驚喜して体が震えて止まらなかったと記している。またこの感激をノートに「太陽昇る」とも書いている。こうして賢治はこの経典を常に座右に置いて大切にし、生涯この経典から離れることはなかった。 法華経というと日蓮宗がすぐに浮かぶが、この『漢和 妙法蓮華経』の冒頭には、聖徳太子、伝教大師、弘法大師、法然聖人、道元禅師、日蓮聖人など、宗派を超えた賛序が集められている。 島地大等は賢治が前年から説教を聞いていた浄土真宗の高名な僧侶であった。彼は宗派で分断されることのない大乗仏教の根本にある法華経の大切さを伝えようとしていたという。 賢治が特に感動した『如来寿量品』が説いていたのは、【私が理解した限りでは】仏が死後の世界のみならず、現世にこそ存在し人々に励ましを与えているということであり、苦悩に満ちた人生を切り開く指針になった。 ここからはいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、賢治と仏教とのかかわりについてはウィキペディアにもほぼ同様の記述があり、放送で紹介された生い立ちもこれを踏襲した内容になっているようである。『漢和対照妙法蓮華経』については2016年4月11日の日記にもメモが残っている。また2016年4月15日に記したように、「現世重視」と「個人から集団社会宇宙」が法華経信仰に繋がっていったことも間違いなさそうだ。 次回に続く。 |