じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 台風6号は九州の西の海上を通過し、8月10日の6時45分現在、対馬の西70kmの海上を北上して朝鮮半島に向かいつつある。
 8月9日の岡山はその影響で強風が吹き、14時24分に最大瞬間風速19.0mを記録した。写真は半田山植物園内のイチョウ。まだ熟していないギンナンの実が落花していた。

 いっぽう気になるのが、その後に発生した台風7号である。8月10日03時時点では、台風の中心は8月15日03時頃に静岡県静岡市のあたりに達すると予想されている。
 なお岡山では今のところ台風接近は予想されていないが、二週間予報によると8月11日以降8月23日まで連続して猛暑日&熱帯夜となると予想されている。やれやれ。

2023年8月10日(木)




【連載】笑わない数学(8)四色問題(9)不可避集合と可約配置

 昨日に続いて、表記の番組の#3『四色問題』の話題。

 ケンプ鎖による四色定理の証明に反例が見つかったあとの経緯について、放送では以下のように解説されていた。
  • ケンプの誤りが指摘された後、多くの数学者たちが新しいアイデアを用いて証明を試みたが、誰一人成功しなかった。
  • その後、五辺国を含む地図【←すべて五辺国以上から構成される地図のはず】をさらに、「五辺国+五辺国」、「五辺国+別の形の国」というように分類する方法が提案された。さらに、それらを分類して、4色だけで塗り分けができることを証明しようとしたがうまく行かなかった。
  • 1913年、アメリカの数学者ジョージ・バーコフが4つの五辺国が隣接している地図であれば4色で塗り分けできることを証明した。
  • しかしそれ以外については分類の数が爆発的に増えて手に負えなくなった。
  • 1970年代、アメリカの数学者ウォルフガング・ハーケンたちは当時まだ珍しかったコンピュータを使って膨大な証明作業に挑んだ 。計算開始から4年後にようやく証明が完了。五辺国を含む1482個の分類に対しても4色で塗り分けられることが証明できた。
  • しかし当時の数学者からは「疑わしい」、「美しくない」、「エレガントではなくエレファントな証明」だという批判の声も上がった。
  • 【「エレファントな証明である」と批判されたことについてハーケン博士は】象よりも賢かったとは思いたいが、「エレガントな証明」で美しい法則を発見していないことは認める。ただ、「エレガントな証明」にこそ価値があるという考え方は宗教信仰のようなもの。難問を鮮やかに解くアイデアが突然ひらめくというのは、神の奇跡がいつか訪れることを信じるようなもの。
  • 【パンサーの尾形貴弘さんのまとめ】コンピュータを使うのも立派な証明方法。エレファントな証明だけでなくエレガントな証明も見てみたい。なぜなら私たち人間が本来持っている知性の底力もまた信じてみたい。
 放送のほうは以上で終了したが、YouTubeの解説動画:

【ゆっくり解説】こんなに単純な問題がなぜ100年以上数学者たちを悩ませたのか−四色問題

のほうではもう少し詳しい解説があった【参考文献はこちら】。その概要は以下のようになっていた。
  • 20世紀に入るとそれまでのイギリス中心ではなく、アメリカの数学者も研究に取り組むようになった。その結果辿り着いたのが『不可避集合』と『可約配置』という考え方だった。
  • すべての地図は二辺国、三辺国、四辺国、五辺国のうちのいずれかを含まなければならないというように、そのどれかを必ず含まなければならないという組合せを『不可避集合』という。
  • 「地図が必ず最小反例を持たない」という国の配置を『可約配置』という。
  • ケンプは不可避集合の全てが可約配置であることを証明しようとしていた。しかし、ケンプの方法では最後の五辺国だけは可約配置であることを示せなかったため、四色問題を証明することができなかった。
  • 20世紀以降のアメリカの数学者たちは、そのほかにも不可避集合の組合せがあるのではないかと考えた。もしそのようなものがありその全てが可約配置であることが示せれば四色問題は証明できるはずだ。
  • ドイツ人の数学者パウル・ヴェルニッケは、二辺国、三辺国、四辺国を1つも含まない地図は、「隣り合う2つの五辺国」、もしくは「五辺国と六辺国のペア」のいずれかとして存在しなければならないことを証明した。
  • 1920年には、、五辺国を含む地図【←すべて五辺国以上から構成される地図のはず】は、「3つの五辺国」、「2つの五辺国と1つの6辺国」、「1つの五辺国と2つの六辺国」として存在することが証明された。
  • しかしその後もさらに分類が細分化し、その配置や配置の数はどんどん複雑になっていった。中には数千個の配置を含む不可避集合も見つかった。
  • 不可避集合だけでなく、同様に新しい可約配置も少しずつ発見されてきた。
  • 1926年、国の数が27個以下なら四色定理が成り立つことが証明された。
  • 1938年には、31個以下、1940年には35個以下で成り立つことが証明された。
  • 1960年代には四色問題の研究結果がいくつも生まれていたが未だに断片的なものにとどまっていた。
  • ドイツの数学者ハインリヒ・ヘーシュは、不可避集合を探し出すための効率的な方法を発見しいくつもの不可避集合を見つけていった。しかし可約配置の不可避集合にはおびただしい数の配置が含まれていることがだんだんわかってきた。ヘーシュは1970年には、四色定理を証明するには数千もの種類の配置を調べる必要があると結論づけた。
  • そこで、アッペルとハーケンという2人の数学者はヘーシュの研究を活用し、コンピュータを用いて解決を試みた。その結果、合計1000時間もかけた膨大な計算により四色定理の証明に成功した。
  • しかし、当時の数学者は数学を「美しく簡潔なもの」と捉えていたが、コンピュータがしらみつぶしのような計算を行い数百ページという出力を行った結果としてようやく得られたものだった。そのため、このようなコンピュータ任せの不確実な証明を認めたくないと批判されることもあった。またそもそもコンピュータで1000時間もかかった論文の検証など人間の手で行うことは不可能であった。
  • その後、より良い証明法によって計算にかかる時間は短縮され、1994年には家庭用コンピュータでも3時間あれば証明できるほどとなった。
  • 四色定理の証明をきっかけに数学の証明にコンピュータを使うことが受け入れられるようになったし、数学のあり方を変えるきっかけとなった。

 ここまでのところで感想を述べるが、これまで論じられてきた地図というのはすべて、何らかの大陸が分割されて構成された地図であった。この場合、大陸が1つであれば、海に接している国は必ずループ状になる。これを仮に『海岸国』と呼ぶことにする。いっぽう、「すべての地図は二辺国、三辺国、四辺国、五辺国のうちのいずれかを含まなければならない」という場合、その二辺国〜五辺国は海岸に接しない内陸国として描かれることが多いように思われる。そもそも、

海岸国を含めて、すべて国が五辺国以上であるような地図は存在するのか?

についてはよく分からないところがある。なお、有限な大陸ではなく、どこまで行っても果ての無い地図で考えるならば、蜂の巣型に六角形で隣接した国ばかりの地図が存在しうる。この場合、すべての国は六辺国となる。

 次回に続く。