【連載】チコちゃんに叱られる! 「恥ずかしい」とは何か?
昨日に続いて、5月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- なぜ薬は病院ではなく薬局でもらうようになった?
- なぜ木の枝はグニャグニャしている?
- 「恥ずかしい」ってなに?
という3つの話題のうち最後の3.について考察する。
まず、「恥ずかしい」という感情については、かなりの個体差があり、また質的に異なる複数の感情の総称になっている可能性がある。例えば、
- 大勢の人の前で挨拶をするのが恥ずかしい。
- ピアノの発表会で失敗をして恥ずかしい。
- ズボンが破れて下着が見えていたのに気づいて恥ずかしい。
- 小学校の参観日で自分の子どもが人目に付く悪戯をしていて恥ずかしい。
というように、異なった状況のもとで恥ずかしさを感じることがあるが、1つの感情としてまとめて議論することができるだろうか?
ちなみに、国語辞典での「恥ずかしい」の定義は以下のようになっていた【要約・抜粋】。
- 大辞泉
1 自分の欠点・過失などを自覚して体裁悪く感じるさま。面目ない。「成績が悪くて―・い」「字が下手で―・い」
2 人目につきたくない思いである。気詰まりである。てれくさい。「人前に出るのが―・い」「そんなにほめられると―・い」
3 相手がすぐれていて気おくれするさま。立派である。
- 新明解
〔世間慣れがしていなかったり 強い劣等感をいだいていたり 差し障りがあったり して〕人前に出るのを避けたい気持だ。「みんなの前で歌うなんて恥ずかしい」
「聞いているうちにだんだん恥ずかしくなる下品な話」
「どこへ出しても恥ずかしくない〔= それなりに評価される〕作品」「恥ずかしい〔= 世間に顔向けができない〕事をしてくれたな」
- 岩波国語辞典
(相手がすぐれていて)自分の能力・状態が劣りはしないかとか、人にあきれたやつと思われはしないかとかいう心にとらわれて、人目を避けたり隠れたりしたい気持だ。
面目ない。「失態をさらけ出して―」。きまりが悪い。「あまりほめられて―」「花―(=花も恥じらうほどの)美人」
(け押されるようで)てれくさい。「異性が―年ごろ」
相手の様子に、こちらが気おくれや遠慮を覚える気持だ。「―ことを平気で言うやつだ
- ジーニアス和英辞典
《恥に思う》be ashamed 「of O/of doing/to do/that節〈Oが/…したことが/…することが/…であることが〉
《ばつがわるい》be embarrassed 「to do/that節〈…することが/…であることが〉
《引っ込み思案・内気で》be shy about O/doing〈Oが/…することが〉
いっぽう放送では「自分の居場所を守るための人間ならではの感情」と説明された。恥ずかしいという感情について研究している菅原健介さん(聖心女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 「恥ずかしい」というのは人間ならではの感情。なぜなら人は群れの中で生きる動物だから。
- 群れを作る動物は他にもいるが中でも人間は社会的な動物で他の人がいないと生きていけない動物。
- 人は家族や学校、会社などさまざまな社会の中で人との関わりを持って生きている。スーパーで食料を手に入れたり病院で治療を受けるのもそのひとつ。日常生活のさまざまな場面で社会と関わっている。
- 一般的な生活を送るためには社会の中に自分の場所を確保しておかなければいけない。つまり社会の中で生きていくためには、その社会の一員でいられるようにする必要がある。
- そのために役立つのが「恥ずかしい」という感情。例えば知り合いと間違えて他人に声をかけてしまった時は、「変な人だな」と思われることは社会の中での自分の評価が下がり、もしかしたら社会から見放されるという可能性も出てくる。「恥ずかしい」という感情はその可能性を教えてくれる危険信号。
- 社会と密接にかかわって生きている私たちは、社会から見放され居場所がなくなると生きていけなくなる可能性がある。社会の中で自分の評価が下がったときに「恥ずかしい」という危険信号のアラームが鳴ることで社会から見放されないよう自分の行動を見直し居場所を守ろうとしている。
- 褒められて恥ずかしいもの同じ危険信号のアラーム。人から褒められて恥ずかしいのは相手からの評価に対して自分の能力が見合っていないと感じるから。「期待に応えられない」と思い相手から要求されたことを達成できないと自分の評価が下がり社会に居場所がなくなるのでは、というメカニズム。
- 実際ちょっと恥ずかしいことをしたくらいで社会から放り出されることはないが、大昔から人は集団の中でそれぞれの役割を担って生き延びてきた面があるのでそのときの恐ろしさがアラームとして残っているのかもしれない。
放送ではさらに、「恥ずかしい」に伴う表情がが2×2の4通りに分類できるという、菅原さんの研究が紹介された。2×2を構成するのは、「否定的評価か、肯定的評価か?(評価が下がったか、上がったか)」と、「評価を受容しているか、否認しているか?(評価を受け入れるか受け入れないか)」という2つの軸であった。
- 否定的評価&受容:『ハジ』→>目を閉じたり下を向いたり、という特徴が見られる
- 否定的評価&否認;『ハジ+テレ』→おちゃらけた表情で、本当の実力はこうではないとアピールしてマイナス評価を回避しようとしている。
- 肯定的評価&受容:『非ハジ+非テレ』→ドヤ顔
- 肯定的評価&否認:『テレ』→口を結んだり顔をそらしたり顔を隠したりすることで評価から逃げようとしている。
ここからは私の感想・考察になるが、まず恥ずかしいという感情が対人行動の場面で生じることは経験的にみても正しいとは思う。ポツンと一軒家で独り暮らしをしている人が日常生活の中で恥ずかしいという感情を持つことはまずあり得ない。いっぽう、学校のような集団生活の場では日々恥ずかしさと隣り合わせの生活をしている。
もっとも、上掲の「スーパーで食料を手に入れたり病院で治療を受けるのもそのひとつ」と挙げられた例がどこまで社会との関わりを示しているのかは疑わしい。スーパーで何を買うのかは自分の評価とは関係ないし、自分に対する評価によって病院の治療内容が変わってしまうようでは困る。なので、社会と密接にかかわっていること自体は、必ずしも他者からの評価によって左右されるものではない。ムラ社会ならともかく、現代社会ではそこまで他者の評価に振り回される可能性はないように思う。
「恥ずかしい」という感情が何歳頃からどのような出来事に伴って生じるのか、という発達心理学的な説明も欲しかった。他者からの評価といっても、最も依存度の高い家族間では恥ずかしさを感じることはない。いっぽう自分が関わりをもつ集団内では恥ずかしさを感じることが多い。ある集団への依存度が高いほど恥ずかしさを感じるというのであれば、まずは家族間で生じる度合いが大きいはずだが実際はそうではない。ま、「旅の恥はかきすて」という言葉もあるように、自分とあまり関係の無い集団の前では恥ずかしさを感じる出来事は少ないかもしれないが。
あと、今回の放送では触れられていなかったが、人は自分の裸や排泄行為を見られた時に恥ずかしいと感じる。これは進化心理学モドキの説明としては、大昔、裸になったり排泄をしている時は外敵に襲われやすいのでできるだけ隠れようとしたため、と説明できそうだが、であるなら食事の最中も同様に襲われやすいことから、「食事は人に見られずにこっそり行う。食べているのを見られるのは恥ずかしい」ということになるはず。なぜそうならなかったのかはよく分からない。
いずれにせよ、周囲の人に不快感を与えないためには適度の恥ずかしさは必要であろう。以前チコちゃんの番組で「なんでおやじはおやじギャグを言う?」【2019年2月20日の日記参照】という話題が取り上げられ、「脳のブレーキがきかなくなっているから」と説明されたことがあった。歳をとるにつれてしだいに、恥ずかしいという感情が起こりにくくなることは確かであり、できるだけ自制するように心がけていきたいと思う。
|