じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 この24時間あまりの間に台風10号の予想進路が大きく修正された。
 8月24日06時(画像左)には、台風は28日の03時頃に熊野灘を通り、その後名古屋から富山方面を縦断すると予想されていたが、8月25日06時(画像右)では、28日03時にはまだ四国の南にあり、その後室戸岬、徳島、神戸、丹後を縦断する予想となった。岡山在住者にとっては気になるところだ。
 岡山は自然災害が少ないと言われているが、そのぶん台風や地震への備えを怠りがちであり、他地域よりも被害が拡大する恐れがある。2004年10月20日の台風23号被害を思い起こし、万全の対策をとっておく必要がある。


2024年8月25日(日)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「観光地の写真が同じになるのは追体験・再発見か?」

 昨日に続いて、8月23日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. NHKのど自慢で歌い終わるとなぜ鐘を鳴らすの?
  2. なんでこんなに ひっきりなしに息をするの?
  3. なんで観光地で撮った写真はみんな同じになっちゃうの?
という3つの話題のうち、残りの3.について考察する。

 さて3.の「観光地で写真を撮る時なぜか同じになる」という疑問であるが、まず「同じになる」というのはアングルや構図が同じになるという意味らしい。確かに、富士山、清水寺、厳島神社鳥居、ハチ公などと一緒に写真を撮る時には、それらの被写体と人物との位置関係は殆ど同じになり、みんな似た写真になってしまう。

 その理由について、放送では「その世界を演じたいから」が正解であると説明された。観光について研究している山口誠さん(獨協大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 観光地に行くと、同じ場所・同じ角度で写真を撮ることが多い。じっさい、栃木・華厳の滝や京都・清水寺で撮られた写真を見るとどれも同じアングルになっている。これは、過去に見た世界を自分も写真でなぞることで「自分もこの世界に参加できた」という満足感が得られるから。
  2. ふだんネットで観光地の写真を見ていて自分でじっさいにそこに行った時、見たことがある写真と同じ場所で撮影することで「同じ世界に参加し観光している」という満足感が生まれる。
  3. じっさいに観光地に来(ら)れて嬉しいということはもちろんあるが、実はそれとは別に「演じる」ということもとても大切。
  4. ドラマや舞台では、役者さんたちは台本を元に世界観を演じる。観光地で写真を撮ることはこれと同じ。観光地という「舞台」で以前見た写真「台本」を演じることで、その場所に来たと実感し満足する。
  5. 観光はドラマ(演劇)であり、演じるもの。
  6. 昔は人が行ったことがない場所や知らないことがまだ多くあったかもしれない。でも80年代以降になると、もう知らないことや行ったことのない場所は本当に無くなってきていて、「初体験・新発見」の時代から「追体験・再発見」の時代に大きく変わってきている。
  7. 現在はSNSなどの普及により、他の誰かが体験したことを自分も体験したいという追体験の時代。観光地に行くと、あえて同じ写真になるように見たことがある世界を演じて撮影する人が多く、結果として同じような写真がたくさんできあがる。
  8. 過去に見たことがある世界を自分も演じることで、みんなと同じ世界観を共有でき高い満足感が得られる。
 放送ではさらにスタッフが選んだ「同じ写真をついつい撮っちゃう魔性のスポットベスト3が紹介された。
  • 兼六園のことじ灯籠
  • 新倉山浅間公園。富士山と五重塔をバックにした写真。
  • 大阪道頓堀戎橋のグリコの看板前。1935年から設置されている。


 ここからは私の感想・考察になるが、山口さんが指摘しておられるように、確かに今の時代、観光名所を訪れることは「初体験・新発見」ではなく「追体験・再発見」になりつつあるように思う。他の人のクチコミで高い評価が与えられている場所があると自分もぜひ一度は行ってみたいと思うようになる。そしてじっさいにその場を体験することで自分も仲間になれたといった満足感が得られるのかもしれない。

 もっとも、「追体験・再発見」志向が、そっくりそのまま「同じ写真になる」現象を説明できるのかどうかは疑わしいところがある。
 まず、富士山であれ厳島神社鳥居であれ清水寺大舞台であれ、記念写真を撮ろうとしたときには人物を前に配置し、その左右どちらか後ろに名所風景を配置するという構図は必然であって、それ以外の写真、例えば自分の顔で富士山が隠れてしまうような写真は失敗作となる。けっきょく、記念写真を撮るのであれば、名所となる背景をうまく収められる場所や構図は決まってしまう。他の人がどう撮るかは関係なく、結果的に同じアングルになってしまっても不思議ではない。じっさいこちらの写真のように観光客が訪れることの少ない場所であっても、背景の山と人物をうまく取り込めるように写真を撮れば同じような構図になるのは必然であろう。

 ま、同じ構図になるかどうかは別として、

観光名所でなぜ記念写真を撮りたがるのか?

という疑問に置き換えてみれば、少なくとも一部の人については「過去に見たことがある世界を自分も演じることで、みんなと同じ世界観を共有でき高い満足感が得られる」という説明が当てはまるかもしれない。もっともそれはSNSの影響を受けやすい人に限られており、それ以外の理由、例えば、
  1. 他者はどうあれ、自分(自分たち)は確かにその場所を訪れたということを記録に残すため。これは、卒業式や修学旅行などで写真を撮るのと同じ理由であって、「追体験・再発見」志向とは別物。
  2. 旅行自体の楽しい体験をいつまでも思い出せるための手段として。
という理由で写真を撮る人もいるはず。

 あと、「追体験・再発見」志向であるならば、写真では撮れないような体験、例えば美味しい料理、スリル満点の冒険なども日程に組み込んでいるはずだ。

 ということで、観光名所で記念写真を撮りたがる理由を「追体験・再発見」志向だけに結びつけるのは少々無理があるように思えた。